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[R18][SakaUra] どうか、いかないで。

Author: じゃむおじ

Link: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20762088

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当小説はnmmnのものとなっております。
上記に関して理解の無い方はブラウザバックをお願い致します。
実際に存在する人物を扱っておりますが、ご本人様とは全くもって関係の無いものとなっております。

このことを全てご理解頂けた方のみ、読んでくださると嬉しいです。

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「___……月、綺麗だね」

キミと、同じ空を見てる。

それだけで溢れた涙が、夜の空へと流れていく。
上へと流れたそれは、月に反射してお星様みたいにキラキラしてて。

キミの瞳も、お星様みたいに輝いて。

当たり前のように隣にいた過去のキミと同じように優しく微笑んだ後、口を開いてこう言った。

「__どうぞ、カフェオレです」

午後三時。
2年前、家の近くにできた小さな喫茶店。
オープン当初から時間がある時には通っていたため、マスターとは顔見知りになってしまった。
いつもの席に着くと、何も言わずともカフェオレが目の前に置かれる。
コーヒーよりも、ミルクを多めにしたカフェオレ。

それが、俺は何よりも好きだった。

「今日の夜は雨予報みたいですよ」

「そうなんですか?洗濯物干しっぱなしだ」

「今日は早めにお帰りになったほうがいいかもしれないですね」

「そうします、ありがとうございます」

マスターと他愛もないことを話すのも、日々の習慣になってしまった。
この店は雰囲気も暖かく静かで、俺がここに入り浸ってしまうのもこの空気がすごく好きだからだと思う。
何かあった時に気持ちを整理できそうな、ゆったりとした空間。

ここに居れば、時間さえも忘れられる。

ここの店でしか味わえないカフェオレをこくり、と喉に通して、窓の外を見上げた。
少し重く霞んだ色をした雲がゆっくりと動いていて、雨の知らせをじわじわと運んでくるようだった。

「……ごちそうさまでした。今日はもう帰ります」

「お気をつけてお帰りくださいね」

「ありがとうございます」

ほろ苦いのにどこか甘いカフェオレをあっという間に飲み干して、いつも通りお金を置いて席を立つ。
マスターにお礼を告げた後、カランカランと音を立ててドアを開けると、ふわ、と雨の香りが鼻を擽った。
この様子じゃ、すぐにでも降ってくるかもしれない。

俺はカバンをもう一度持ち直して、家へと急いだ。

俺は浦田渉。
この活動を始めてから、どれぐらい経ったのだろう。
いつまでも追い続けられるはずだった夢は、いつの間にか自分の手のひらに掴めていたようで。
いや、果たして掴めることができていたのかいないのか、もうすでに船を降りた俺でもあまりよく分かっていないのだけれど。

浦島坂田船は、数年前に航海を終えた。
夢にも思っていなかった大きな舞台に、俺の心臓の一部と言っても過言ではなかった3人のメンバーと一緒に足を踏み入れた。
コイツらと一緒なら無敵だと思った。
どこまでも、いつまでも。例え航海を終えたって、ずっと4人で進んでいくんだ。

そう思っていたのは、俺だけだったみたいだけど。

志麻は地元の高知へと戻って、航海を終える頃に見つけた大切な存在の人と一緒に幸せに暮らしている。
定期的に連絡を取るけれど、俺から連絡しないと志麻からは滅多に来ないわけで。
あの時はほぼ毎日4人で一緒に居たのに、急に4人別々に離れたくせに。
それなのに当たり前のように連絡もせず、幸せに暮らしてる志麻が少し羨ましくて、ほんのちょっとだけ憎かった。

センラは、東京に暮らしながら今は立派なサラリーマンをしている。
4人での活動がメインになって、疎かになるくらいなら辞めると言っていた仕事を持ち直して、活動していた分のブランクだってあるだろうに今じゃ将来有望の人材になっているらしい。
活動を終えた瞬間の切り替えは、4人の中でセンラが一番早かったな。あんなにメリハリの良くて後悔なんて1つもないみたいな顔するの、俺にはできないよ。

さかた。

坂田 明。

俺の一生分の人生をかけてでも、コイツの隣で歩いていきたいと思った。

相棒、相方、なんて言葉で完結させたくなかった。
特別だった。唯一だった。
その手を、ずっと離したくないって思ってた。
離れるだなんて、想像すらしてなかった。
いつだって、俺から離れずに隣にいてくれたから。

(……それなのに今じゃ、いちばん遠い存在になっちゃったな)

毎日連絡を取り合っていたのに、今じゃ連絡なんて繋がりも感じられないほどしなくなってしまった。
今もまだ東京に住んでいるとは思うけど、どこにいるかも、何をしてるかも、何も知らなかった。
志麻やセンラにしてるみたいに俺から連絡を取ればよかっただけなんだけど、それも何だかできなくて。
連絡を俺から取ってしまったら、2人の時とは違う、下心の詰まった気持ちを言葉にしてしまいそうだった。
俺は、それだけはしたくなかった。
だってこの気持ちは、船を降りたあの日と同時に、諦めなければならない恋だったから。

せっかくネット活動から違う世界に旅立っていったのに、いつまでも引きずったままでいる俺の隣で歩いてほしいなんて言えるほど、俺は空気の読めない奴じゃない。
そんなことを言ってしまえば、腹立つくらいに優しい坂田はきっと、俺の隣で一緒にゆっくり歩いてくれるだろうから。
それだけはさせたくなかった。

坂田には、幸せになってほしかった。

「今日は雨降るし、いつもより早めにお家に帰るからねー?」

「はぁーい!ままぁぱぱぁ、はやくはやく!!」

「はいはい、危ないからゆっくり行こうね」

「ほんとに公園で遊ぶの好きだよなぁ〜」

「ふふ、元気なのは良いことよ」

幸せそうに笑う家族の横を、冷たい風を切って横切る。
喫茶店から俺の家まで帰る道のりは、家族連れや楽しそうに話す年輩の方たちまで、多くの人が集まって賑わう場所が多く存在していた。
人は多いけど決して騒がしいわけではなくて、暖かく賑やかな雰囲気をしたこの場所が俺には丁度よかった。
一人では居たくない性格をしてるから、尚更この賑やかさが俺の心を暖かくしてくれたりする。

だけどそんな空気の中で、俺だけが取り残されたような感覚に狂ってしまいそうになる時もないわけじゃなかった。
どうやって生きていけば、俺は「生きていい」と、「生きててよかった」と思い続けられるようになるんだろうか。
数年前まで、一日に何度もその感情を噛み締めていたというのに。

「どうぞー」

「……どうも」

少し足を進めると、1つの大きな交差点。
さっきの道よりも人が増え賑わう中、ティッシュ配りをしていたお兄さんに差し出されて、頭を下げてそれを受け取る。
信号が青になることを知らせる音と同時に、ぞろぞろと人が進み始める。
俺もその流れに逆らわずに歩み始めると、ふわ、と嗅いだことのある懐かしい匂い。

その匂いを感じた瞬間、覚めきっていた脳がビリビリッ、と痺れて、焼けそうなくらいに身体が熱くなった。

多くの人が交差点を横切る中、隣にいるのは紛れもなく坂田だと、見て確認しなくても分かった。

やっぱり、まだ東京にいたんだ。

柔軟剤も、活動してる時によく気回していた服も、何も変わっていなかった。
思い出で終わらせてしまった恋心が、あっという間に溢れかえってくる。
坂田は俺の存在には気づいていないようで、見慣れた歩き方で交差点を渡っていた。
俺は抑えきれない速度で身体中に鳴り響く心臓を抱えながら、坂田の隣を歩く。

どうしよう。話しかけてもいいかな。
でも、誰かとこれから会うのかもしれない。だってまだ夕食には早い時間だ。
それとも、もう用事は終わって帰る途中なのかな。
交差点を渡った後に進む道も同じだったら、もしかしたら家の場所も近かったりするのかな。
そうしたら、また、前みたいに。
他愛もない話で盛り上がって、笑い合えるような時間を過ごせたり、するのかな。

長めの交差点も終わり、青に光っていた歩行者信号が点滅する。
離れていく前に、声をかけなければ。
じゃなきゃきっと、もう二度と会えない。
俺の口から「坂田」の名前を出すのは、いつぶりだろう。
ずっと心の奥底でその名前を大切にしまっておいていたから、貰ったプレゼントをドキドキしながら開けるような感覚に陥った。
坂田、俺を見た後びっくりするかな。
坂田の口からも、俺の大好きな響きで「うらさん」って呼んでくれたりするかな。

「…………っ、さか」

今の俺には、隣にいた坂田しか見えていなくて。

だから交差点を渡った後、坂田の方に身体を向けてから初めて気づいた。

坂田の隣には、俺の知らない女の人の姿があった。

_______________

「夕飯?あー…まだ出前届いてないから食べてないや」

目の前には、活動当時からあった大きなパソコン。
画面に映るのは、俺専用に描かれたイラストと、流れていくコメント達。

俺は未だにずっと、「うらたぬき」という名前を使ってネット活動をしている。
名前の後ろに、浦島坂田船という船の名を残したまま。
さすがにライブとかはできなくても、できるだけ毎日配信をして、「こたぬき」と今でも名乗ってくれるリスナーと画面を通して話す。

俺はずっと、ここに取り残されている。
ここの居心地が忘れられなくて、毎回気づけば配信するための準備をしていた。
活動時よりも人は少なくて、だけど変わらず「こたぬき」だと言ってくれるファンに、俺は生きる理由を無理やり分け与えてもらっているのだ。

本当は取り残されてるんじゃない。
自分から、ここに残りたくて残ってる。
いつまでも、思い出じゃなく続いているものだと思っていたいっていう、俺の弱さから続けていること。

(……俺も、弱くなったもんだな)

この数年間で、たくさんの奴らの背中を見てきた。
「ついてこい」と叫びながらも、笑いながら共に走ってきた仲間の背中を、またひとり、またひとりと。
“いかないで”なんて、俺には言えない言葉だった。
走り出そうともしない俺の背中を押してくれる人なんて、気づいた時にはもう誰一人居なかった。

みんな、俺より先に進んでいってしまったんだ。

「映画?……へぇ、あれ新作出すんだ」

懐かしい単語が耳に入って、思ったことをそのまま口に出す。
映画を見ることはあっても、映画館で見ることは少なくなった。
今の動画配信サービスはすごい。映画館になんて行かなくても、大きな画面のある端末さえ持っていれば、まるで映画館で見てるみたいに楽しめるんだから。

「この映画、坂田と一緒に見に行ったなぁ」

映画館に行くのが好きだった。
行く時は、ほとんど坂田と一緒だった。
誘うのは大抵俺からだったけど、それでも当たり前のように受け入れてくれた坂田。
俺が見に行きたいと約束してた映画を、俺じゃない違う奴と見に行ったって聞いた時は、もういい、なんて拗ねてたこともあったっけ。
ただの機嫌取りだったかもしれないけど、その後から坂田は俺のことを誘ってくれるようになって。
一緒に映画に行くのも、自分から誘うんじゃなくて、さかたから誘ってきてくれたことの方が何倍も嬉しくて。

坂田と一緒に映画館に行くのが、俺にとって当たり前な日常だった。

「久しぶりに誘ったら、一緒に行ってくれたりするかな」

そんなことを冗談まじりにポツリと零すと、純粋なリスナー達は「誘いましょう!」「坂田さんの名前久しぶりに聞けて泣きそう」「うらさか永遠!」なんて、さっきよりもコメントの流れが早くなる。
坂田の名前を出しただけで少しずつ増えていく閲覧者数に、やっぱりアイツの力はすげぇな、なんて思った。

(うらさか永遠、か)

___うらさん!

坂田は、いつも無邪気に笑っていた。
苦しいことなんて知らないと言いたげな表情で、ずっと笑ってた。
どんなことにも何度も挑戦しようとする姿に刺激を受けたことなんて、数え切れないほどあった。

さかたが居たから、頑張れた。

さかたがいたから、届けられたものがあった。

“運命”なんだって、信じてた。

「………会いたいなぁ……………………っ」

ほんとに、そうだったらよかったのに。

俺と坂田の間を、何人もの人が通り過ぎる。

俺が知らない女の人と歩きながら微笑む姿は、坂田なのに坂田じゃないように見えて。
坂田の隣を歩く女の人は、俺と違って目も丸くて優しそうで、ふわふわした可愛い感じの女の子だった。
なんでだよ。さかた、つり目が好きって言ってたじゃん。
大人しめでタレ目なその女の子は、坂田を見て幸せそうに微笑んでいて。
それを見た坂田も、優しい瞳で見つめ返していた。
俺の進む道と反対方向を向いて、2人で進んでいく。
思わず伸ばしかけた手は、宙を切って垂れ下がってしまった。

俺は、何を期待していたんだろう。

坂田に特別な人ができるなんて、当たり前だ。
みんな別々の道に進んで、大切な人やものができて。
過去の宝物を大切に残しながら、新しい大切なものを手のひらで包んで。
何も掴もうとしていないのは、俺だけなのに。

(さかたが幸せなら、俺だって幸せじゃん)

___そう思ってたはずだったのに。

「…………………っ、」

気づけばポロポロと涙が溢れて、画面を見ることすらできなくなる。
慌てて声をミュートにして、溢れて止まらない涙を必死になって止めようとした。
急に途切れた声に、きっとみんな心配してくれているんだろう。
みんな、一人だけここに残ったままの俺に寄り添って、優しく接してくれる。
本当は、早く俺を送り出して安心したいだろうに。
たくさんの人を振り回してる上に、活動していた時期の思い出が恋しくて泣いちゃうとか、とんだ赤ん坊だ。

「……っはぁー、ふは、ごめんごめん!なんか思い出したら懐かしくなっちゃって」

何とか溢れ出る涙を堰き止めて、ミュートを解除してみんなに笑いかける。
心配をしてくれるコメントに「だいじょぶ、ありがとう」なんて返しながら、カチ、カチ、とマウスの音を鳴らす。
しばらくその後も配信を続けていたけど、そろそろ終わるね、なんて言葉を最後に、みんながコメントをしてくれる。

「うん、うん、…はは、確かに!出前遅すぎるよなぁ〜?位置情報見てみよー………お、もうそろそろ届くわ」

演技は、声優の仕事をしているせいか慣れている。
スマホも触らずにそんなことを言うと、安心したようなコメントが多く流れて、それにホッと息をついた。

「んじゃ、今度やる時はまた言いますので。ばいばいおやすみ、……愛してるよ」

みんなにとっては軽いいつもの“愛してる”に聞こえても、俺にとっては重すぎる愛で。
その言葉を最後に配信を終わらせたあと、ふらふらとした身体を何とかベッドまで持っていき、そのまま倒れ込んだ。

「………………っ、……ふ、ぅ…………っ」

じわじわと熱くなる目から、またボロボロと止めどなく溢れてくる涙。
今度は止めようともせず、枕にその水を染み込ませた。

(さかた。……っ、さかた、さかた)

ずっと好きだった。
俺の隣で笑ってくれる、優しいさかたが大好きだった。

だけど今日、俺はようやく失恋した。

やっと諦められる。これで前に進める。
そんな建前を立てられるほど、俺は強くなかった。

(さかたのこと、いちばん分かってたはずだったのに)

もう、俺の知ってる坂田はどこにもいない。
俺は過去の坂田ばかり追いかけて。
俺に向けてくれた坂田の表情ばかり思い出して、浮かれて、また隣に居てくれるかもしれないだなんて勝手に勘違いして。

もう、全部過去の思い出なのに。

「……っ俺、……っ、欲張りすぎてたんだ……っ」

さかた。さかた、さかた。

ごめん。ごめんなさい。
勝手に好きになったくせに、勝手に失恋して失望して。
坂田は、もう俺なんて眼中にすらないくせに。

ピンポーーン______

すると、沈みきった気持ちとは真反対の明るいチャイム音が部屋に響いた。
いけない。俺、何か頼んだっけ。
出前はリスナーに心配かけないための嘘だし、この前ネットで頼んだものが届いたのかもしれない。

涙を拭いて、ふらふらとした身体を無理やり移動させる。
やばい。完全に貧血だ。
まともにご飯も食べずにカフェオレばっか飲んでるせいだ。
ここで倒れても誰も見つけてなんかくれないんだから、体調だけは崩したくないのに。

そんなことを思いながら、玄関の鍵を解錠した。
今人に顔なんて見せたくなかったから、少し伏せ気味だったけど。
つい数時間前に見かけた服が目に入って、俺は思わず顔を上げた。

「…んへ、久しぶり」

なんで  どうして

「…………っぇ、…………っな、ん、」

俺は、夢でも見ているのだろうか。
空いた口が塞がらずに目を見開いて立ち尽くしていると、さっきまでずっと俺が思い続けていた当の本人は、俺を見て笑った。

「久しぶり、“うらさん”」

俺がずっと聞きたかった声が、今、俺の名前を呼んだ。
俺を映して欲しかった瞳が、今俺を見てる。

なんで。どうして、?
ずっと、俺のことなんか見てくれなかったくせに。
俺と正反対を向いて、俺のことなんか気にもせずに突き進んでいったくせに。

恋人、いるくせに。

「……っふ、……ぅ゛、なんでぇ……っ、?」

俺に、会いに来てくれたの?

見せたくなかった顔をくしゃりと歪ませて子どもが泣くみたいに涙を流すと、一歩近づいた坂田が俺の後頭部に手を回して引き寄せた。
腕の中に俺を入れた後、ぎゅぅ、と抱きしめてくる力が、加減の知らない不器用な強さで。
少し雑だけどあったかいその腕は、いつもライブで俺を抱きしめてくれた時の強さと変わってなくて。

さかた。坂田だ。

俺の知ってる坂田がいる。

「ふ、っぅ゛ぁ、さかたぁ゛…………っ、」

背中に腕を回して、強く強く抱きしめた。
夢でもいい。何だっていい。

今、この瞬間だけ、俺の腕の中に居てくれたら。

_____________

「……落ち着いた?」

玄関の前で坂田に抱きつきながら号泣していた俺は、いつの間にか坂田によって家のソファへと移動させられていた。
決して離そうとしない俺を優しく受け入れてくれて、背中を力加減も分からずにトントンと叩いたり、下手な慰め方ばかりしてきて。
それも嬉しくて、大好きで。
過去の思い出だった気持ちが、ふわふわと簡単に浮き上がってくる。

「……ん゛、ごめん、」

「んふ、顔べたべたやん〜」

服の裾で顔を少し雑に拭ってくれる坂田に、汚いから、なんて言うと、ええよ別に、なんて返ってくる。
坂田だけだよ。人の涙、こんなに雑に拭ってくるやつ。
あんまり擦られると、痕残るんだってば。
真っ赤になりたくないのに、そんなに無理やり擦るなよ。

だけどその乱雑ささえ懐かしくて嬉しくて、俺は何も言わずに大人しく涙を拭われていた。

「……なんで、急に、?」

泣いたせいで鼻声になってしまった俺は、その言葉を零した後にずず、と鼻をすする。
また裾で涙を拭おうと伸ばしてくるその手に大丈夫だと断ると、腕をソファに落とした坂田は俺を見て優しく微笑んだ。

「んー……………会いたいなぁって思ってん」

そう言った後、俺の顔を覗き込むみたいな形で見つめてくる坂田に、かぁっと一気に体温が上がる。

「っふ、ざけんな、嘘つくなって」

「えぇ〜っ?あは、うらさんはいつまで経ってもうらさんやなぁ」

よかった、なんて、安心した顔で言わないで。
お前は変わったくせに。俺を置いて、変わっていったくせに。
俺は、いつまでも変われないだけだ。

「実は、配信聞いてた」

「…………っえ、おれの、?」

「うん、……ぁー、ていうか、いつも結構聞いてるんよ」

「……え、おれの!?」

知らなかった。
いや、知れるはずもないんだけど。
俺のことずっと、見ててくれてたんだ。
じゃあ今も、さっきの俺の配信を聞いて会いに来てくれたってこと?

“………会いたいなぁ……………………っ”

“……会いたいなぁって思ってん”

(……どんだけお人好しだよ、ばか。)

「出前は?」

「…ぁー……」

「絶対頼んどらんやろ。もぉ、人には食え食え言うくせに、自分の体のことは全然気遣わんよなぁ」

呆れたように俺を見つめる坂田の服を、きゅ、と掴んだ。
それに気づいた坂田は、開いていた口を閉じて俺を見つめてくる。

「…………………………」

何も言わずに、俺から何か言葉にするのを待ってくれてる。
そんな坂田に安心して、ゆっくりと深呼吸した後、口を開いた。

「…今日、お前が歩いてるところ見た」

「え?そうなん?!もぉ、なんで声掛けてくれんかったん?」

「…………女の人と、歩いてるところ見た」

「あぇ………………そっかぁ、」

否定、しないんだ。

じわ、と涙がまた浮かび上がってきて、慌てて引っ込める。
泣いちゃいけない。ここで泣いたら、坂田を困らせてしまう。
こいつは優しいから。俺が縋ってしまったら、きっと坂田は優しく受け入れてくれちゃうから。

「……かのじょ、?」

「……うん、……でも、婚約者、って言った方がええかも」

その単語ひとつで、頭の中が真っ白に染まっていく。
婚約者、ってなんだ。
理解できない中で、一つだけ分かった答えに現実が襲ってくる。

さかた、結婚するんだ。

「…………うらさん、」

くしゃ、と切なげに微笑んだ坂田が、そっと手を伸ばして頬に添えてくる。
無意識に溢れていた涙を優しく拭われて、その優しさに余計に胸が締め付けられた。

「……っ、……ぁ、……」

「……………」

「………っ、そっかぁ……っ、」

涙を流したまま、坂田に笑いかける。
心配そうに俺を見つめる坂田から目を逸らすように下を向いて、ぽた、ぽた、と落ちていく涙を眺めた。

分かってたはずだった。

まーしぃだってもう、大切な人と一緒にいる。

センラだって、大切な人なんかすぐ現れる。

そんなの、さかただって同じなのに。

「……っ、…ぅ、………っ」

こんなに泣いたら、きっとこの恋心に気づかれてしまう。
コイツは、変なところで鋭いから。
それなのに胸が苦しくて、痛くて痛くて堪らない。
きっと泣いていないと、どこにこの苦しみを吐き出せばいいのか分からなくなってしまう。

「……うらさん、」

ごめん。ごめんなさい、
素直に喜べなくて、いっぱい困らせてごめん。
せっかく会いに来てくれたのに。
俺を想って、俺のために会いに来てくれたのに。

「……………うらさん、」

何度も名前を呼んでくる坂田の声にゆっくりと顔をあげると、目が合ったことに安心したように眉を下げて微笑んだ坂田が、ゆっくりと近づいて。

音もなく唇が重なって、大きく目を見開く。

「………ごめん、」

そっと離れた後、小さな声で謝られる。
そのまま顔を逸らされて、坂田の顔が見えないまま離れていって。
それを引き止めるように、坂田に抱きついた。

「………っ、…さかた、……」

ドクン、ドクン、と大きくなっていく心臓の音。
さっきのキスが、どんな意味だったのかなんて分からないけど。
だけど、それでも。

きっと今離れたら、もう会えない。

俺の背中に手を添えた坂田が、ゆっくりと俺をソファへと下ろす。
危なくないように頭を手で抑えてくれるところも優しくて、ぎゅ、と強く抱きしめた。

カチ、カチ、と時計の秒針が響く音。

密着していたせいで少し熱くなった頬を触られて、その指にそっと擦り寄る。
俺を見下ろす瞳が甘く熱くて、その瞳に吸い込まれるように首に腕を回した。
きっと俺も、坂田と同じような顔をしてる。

俺の服の中に手を這わせながら顔を近づけてくる坂田に、俺はゆっくりと目を閉じて受け入れた。

神様が許してくれた、一度限りの過ち。

その日の夜空には、満ち足りた月が寂しそうにポツリと浮かんでいた。

_________________

「__どうぞ、カフェオレです」

カチャ、とカップの音を立てて目の前に置かれた、いつものカフェオレ。
ポツリとお礼を零して、そっとカップを指で撫でた。
まるで命が芽生えていると感じさせるような暖かさに、心にぽっかりと穴が空いてしまった俺の指先がほんの少しだけ温められた気がした。

たった数時間前、この冷えた指先が、あたたかい身体を抱きしめていたなんて想像もつかない。

夢だったらよかった。
夢であってほしかった。

もしそうなら、俺はまだ自分を許せた。
坂田に恋心を抱えていることも、いつまでもこの気持ちをひきずってしまっていることも。

だけどもう、知ってしまった。

“……うらさん”

あんなに優しく触れてくるなんて、知らなかった。
汗ばんだ肌の熱も。俺に優しく微笑みながら見下ろす表情も。
身体を捧げる苦しさと痛みも。
その何倍も、溢れるほどに感じてしまった幸せも。

もう全部、知ってしまったんだ。

「今日は、いい天気ですね」

ほんと、憎たらしいほどに清々しい快晴だ。
カップを拭いているマスターが発したいつもの安心する声に頷きながら、こくりとカフェオレを飲む。

“……親父がさ、孫、見たいんやって”

身体を重ねた後、俺を抱きしめて優しく頭を撫でてくれていた坂田が、ぽつりと独り言のように零した。
ぴく、と動いてしまった俺に気づいていないのか、坂田はそのまま話を続けた。

“……ろくにしてこなかった、親孝行、みたいな”

へへ、と笑った坂田の身体が少し揺れて、少しだけ離れてしまった距離を無くすように顔を埋めて。
そんな俺の髪を梳くように撫でてくれる坂田の手のひらが心地よくて、そっと目を閉じる。
肌に直に触れて、坂田の呼吸をする息が髪の毛にかかるくらいに近くて。
時々俺の髪にキスをする坂田には、気づかないフリをしたけど。

“……寝ちゃった、かな”

そう零して、俺を抱きしめ直した後に息をつく。
あったかい心音と温もりに包まれながら、ふふ、と小さく笑った。

“…………お前、子どもの世話とかできんの?”

“…んふ、うるさいなぁ〜。…………頑張るよ”

本当に、ずるい奴だ。

俺の気持ちなんか、とっくに知ってるんだろ。
それなのに、いきなりそんなこと言いやがって。
言葉ではそうやって突き放すくせに、離れていこうとするくせに。
“離さない”と言っているみたいに、俺を抱きしめて離れさせてくれないのは、お前の方。

ずるい。最低だよ、お前。

(………こども、か)

俺がどれだけ願っても、俺の身体からつくることなんてできない、儚く小さな命。
当たり前だ。だって、俺は「男」だから。
俺が女の人だったら、坂田の子どもを産めたりしたんだろうか。
こんな苦しい気持ちなんて微塵も知らずに、ただただ愛し合って、芽生えた命に2人で涙を流して。

でも、だけどきっと。
十何年も共に過ごしてきた思い出は、きっと「俺」じゃないと作れなかった思い出だろうから。
だから先に結末を知っていたって、俺はきっとこの道を選ぶのだろう。

君の隣を独占できたあの日々は、俺にとっての宝物だったから。
そんな大切なものを、簡単に切り捨てることなんてできない。

それに、どんなに違う出会い方をしたって。
きっと俺は、お前に恋をしていたから。

(……坂田のこども、どんな子になるんだろうなぁ)

坂田に似て、笑うとくしゃってなったら、可愛いだろうなぁ。
そんなことを思い浮かべながら、つ、とシーツへ流れていく涙を坂田に気付かれないように、そっと身体を寄せた。

もう叶うことのない、小さな夢。

誰もいない式場で、ふたりだけの空間で。
お互いに永遠の愛を誓って、笑いながらそっと誓いのキスを交わす。

その相手は、俺じゃないんだ。

この恋を叶えることができるのは、俺じゃないんだな。

ぎゅ、と抱きしめると、そっと抱きしめ返してくれる。
さっきまで繋がっていた身体の奥深くがジリジリと甘く痺れて、ツ、と太腿へと白い蜜が伝っていって。
受け入れるべきでない俺の身体の奥底が、その熱から拒むように吐き出して外へと流れていく。

どんなに欲しがったって、その熱は俺の身体から簡単に離れていくんだ。
きっと彼女の身体の中では、280日もの長い間、大切に守られ続けるのだろう。

そんな自分の身体に笑ってしまいそうになりながら、このどうしようもない気持ちを埋めるように、ただただ優しくて暖かい温もりに触れていた。

こんな身体を一度だけでも愛してくれた、残酷なほどに優しい温もりを、俺は死ぬまで忘れることはないのだろう。

(……俺も、酷い奴だな)

俺が求めたら、アイツは断れないって分かってた。
俺をずっと大切に思ってくれてたってことは、活動の時からずっと感じていたから。

坂田に最後まで甘えてしまったのは、俺の方だ。

こくり、と最後の一口を飲んだ後、カップをゆっくりと置く。
マスターにご馳走様でしたと礼を言うと、優しい笑顔で頷いてくれた。

外に出ると、それだけで少し汗ばんでしまいそうな暑さ。
カフェの中で流れていたニュース番組では、この暑さは9月下旬まで続くなんて言われてたっけ。

(……この暑さに溶けて、無くなれたらいいのに)

きっと、アイツは許してくれないんだろうけど。

そんな風に思いながらクスリと笑って、明るく照らされた太陽から避けるように日陰を歩いた。

‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥

「……今日も来たのかよ」

「……え、来たらあかんかった?」

今日何か用事でもあったん?、なんて言いながらドアを開けて家の中へと入ってくる坂田に、どれだけデリカシーのない男だよ、なんて呆れてしまう。

坂田と身体を重ねたあの日から、坂田は2日に1回は俺の家を訪ねてくる。
どれだけ拒んでも、また来るから、なんて言ってくる坂田に、俺も本当は心の奥底で期待してるのかもしれない。

今日だって、簡単に受け入れてしまった。

「はぁ〜っ、やっぱりうらさんの家は落ち着くなぁ」

どさ、と音を立ててソファに腰を落とす坂田を見た後、キッチンにある棚を開けてコップを2つ取り出す。
軽く水でゆすいだ後、冷蔵庫に入っていた冷たいコーラを淹れる。

このコーラだってそうだ。
来てくれるって心の底で期待してるから、俺は何度も買ってきてしまう。
コーラなんて、坂田が居なきゃ見もしないくせに。

「はい、どうぞ」

「ありがと〜、外暑かったから冷たいもの飲みたかったんよねぇ」

「しっかり後で金とんぞ」

「えぇ〜ケチぃ」

俺の冗談にケタケタと笑いながらコーラを飲んで、うまぁ〜っなんて無邪気な顔を向けてくる坂田に笑いながら、隣に腰をかけてカフェオレを飲む。

「うらさん、またカフェオレ?」

「ん」

「もぉ、身体に悪いものばっか飲んで」

「お前も人のこと言えねぇだろばぁか」

心地良い空間が流れて、冷たいカフェオレを飲んでいるのにぽかぽかと暖かくなる。
コイツは、身体だけじゃなく存在までも子ども体温みたいにあったかいらしい。

俺がカフェオレを飲み続けてるのは、昔坂田が「うらさんこれ好きよな」なんて買ってきてくれたことを記憶に鮮明に残っているから。
ミルク多めのカフェオレをくれたことが忘れられなくて、今でも喫茶店で思わず飲んでしまうくらいになってしまったのも、全部お前のせい。

坂田は、あの日以来俺に触れてこない。
ただ一緒の空間に居て、夜遅くにまた来るなんて言い残して帰っていくだけ。

その曖昧で残酷な優しさが、俺をどれだけ苦しめているかなんて、きっとコイツは考えてもいないんだろう。

(俺は別に、セフレになっても良かったのに)

そんなことを思ってしまう自分に嫌気がさす。
コイツには、もう心に決めた人が居るというのに。
それでも、お前は俺のそばにいてくれるから。
そばにいてもいいなら、俺は性処理扱いをされたっていいと思った。

きっと坂田がここから離れていかない方法なんて、ソレしかないと思ったから。

「最近、うらさん配信せんよな」

そんなことを考えていただなんて気づきもしない坂田が、コーラを入れたコップを机に置いてそう言った。

「お前が来るからやる時間ねぇの」

「えぇ〜俺のせい?」

「ほぼ毎日来るじゃん」

「んふ、嬉しいくせに〜。ツンデレさんめ」

そっと手が伸ばされて、頭をポンポンと叩かれる。
たった一瞬の温もりも、忘れたくないくらいに暖かくて。
きゅぅ、と締め付けられる心臓を隠すようにそっぽを向いて、カフェオレを喉に通す。

「………配信の時のうらさん、時々居なくなっちゃいそうな声しとる時あるから、怖くなるんよ」

「……はぁ?」

「……活動が終わっても、俺達の関係が無くなったわけやないやん。会いたいって思ったら、会えばええんよ」

「…………………」

「俺らさ、活動しとる時は連絡なんか取らんでもほぼ毎日会っとったやん?今じゃそれが仇になって誰からも頑なに連絡取ろうとしないん、おもろいよなぁ」

俺ららしいや、なんて笑う坂田に、俺は俯く。
俺だって、連絡できたらいくらでもしてるよ。
でも、それぞれの場所で今を生きてるお前らの時間を、俺の幸せのために使ったらもったいないなんて考えて。
活動してる時だって、気楽にお前らを誘えたわけじゃないんだよ。
どんな返事が返ってくるか分かんないから、怖くなって、勇気が出なくて。

だけど坂田に連絡したら、お前はすぐに俺の欲しい言葉を返してくれたから。

お前がいたから。だから、安心してたんだ。
そんなお前にも、簡単に連絡をする勇気はもう無くなってしまったけど。

「また4人で集まりたいな」

「……そうだな」

変わったお前らなんて、見たくないよ。

‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥

「じゃ、また来るね」

「もう来んなってば」

「嬉しいくせにぃ。…またねうらさん」

隣にいることが当たり前だったあの時は、“また”なんて言ってこなかったくせに。
そう返してくる坂田に、何も言えないままで。
何も言えないまま別れるのに、坂田の言う“また”を期待して。

「………そんな顔せんで」

俺の顔を見た途端、眉を下げて優しく微笑んだ坂田がそっと近づいて、俺を胸に引き寄せる。
きゅ、と唇を噛み締めながらぐりぐりと肩に頭を押し付けると、坂田の香りが鼻を伝って頭がクラクラした。

「………帰ったら連絡するね」

「……べつに、そんなのしなくていいって」

「ん、やけど俺がしたいからする」

嫌やったら、既読付けるだけでもええから。
そんなこと言われて無視できるほど、俺は強い人間じゃない。
怖くて中々連絡ができなくなった俺に、最近は坂田が連絡してくれるようになって。
それが嬉しくて、でもちょっと悔しいから返信をわざと遅くしてるだなんて、坂田は気づいていないのだろう。

「ん、またねうらさん」

「…明後日は声優のライブあるから、家にいない」

「おっ、そうなん?頑張ってなぁ」

ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれる坂田の背中に腕を回してぎゅぅ、と抱きつくと、くすくすと笑いながら抱き締め返してくれる。

「んふ、今日は甘えたさんなん?かわえぇなぁ」

「……泊まってっても、いいのに」

「……んー、俺うらさんの服着られる?ちっちゃいやろ」

「コロスぞ」

坂田の言葉に睨み上げると、そんな普段と変わらない俺に安心したように笑った坂田の優しさを感じて、ツキンと胸が苦しくなる。
坂田はいつも、俺と一線を置いてくる。
今日だって、日が回るまで俺の傍には居てくれない。
でもそれも当たり前だ。
だってコイツには、もう永遠の愛を誓うべき相手がいるんだから。

当たり前だって、分かってるのに。

「…うらさん、次会う日いつにするか決めようや」

「……え?」

「ライブとかあるなら、結構これから大変な時期入ってくるやろ」

そう言った坂田が、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
俺が離れないように抱きしめ直してくれる坂田の温もりを居心地の良さを感じながら、自分のスマホを手に取る。
俺のスマホは、いつだったか坂田がプレゼントで贈ってくれたケースが付いている。
多分もうコイツはこれをあげたことすらも忘れているんだろうけど、気づいたらきっと喜ぶだろうから。
坂田といる時だけは、そんな期待を抱きながらこのスマホケースを付けている。

「んー……明後日がライブやろ?その2日後とかは?日曜やし」

「ぁー……その日REC続きなんだよ。その次の日は別のライブのリハ」

「えぐい多忙やん!逆にいつぐらいが落ち着くん?」

「………………………………3週間後、とか」

思いの外時間のある日がないことに、自分自身でも驚いた。
ライブのゲスト出演も積極的に引き受けてしまっていたから、ひと月にかなりライブがまとまってしまっている。
自業自得だと溜息をつくと、髪の毛を優しく梳かれた。

「ほんなら、3週間後の土曜に行こうや。映画」

「…………ぇ?……映画、?」

「見たいって言っとったやつ。あれ俺も行きたかってん」

坂田が言っているのは、きっといつかの配信で俺が口にしてしまったことだろう。
その日の夜に坂田が来てくれて、それで。
不意にそれ以降のことを思い返してしまって、かぁ、と顔が熱くなる。
その熱くなった顔を隠すように埋めながら頷くと、そんな仕草を気にもしていないのか上機嫌に笑った坂田がスマホを触っていた。

「ん!予定入れといた!楽しみやなぁ」

「……忘れんなよ」

「忘れんてぇ〜………うらさんも、あんま無理せんでな」

そう言って髪にそっとキスをしてくれる坂田に、口にもしてくれたら、なんて。
触れてくれるのが、一緒にいてくれるのが当たり前になってきてしまったせいで、もっと欲が出てしまう。
ダメだって分かってるのに。
でも、こんなことまでされたら、こんなに優しくされたら、少しでも期待しちゃう。

ここにいる時は、この瞬間だけは、俺のものでいてくれるって。

「帰ったらまた連絡する」

「……絶対。すぐしろ」

「んふ、はぁい」

離したくないその温もりからゆっくり手を離すと、無くなってしまった感覚に一気に寒くなったように感じてしまう。
靴を履いた坂田がドアを開けるのをただただ見つめていると、振り向いた坂田が小さく微笑んで頭を撫でてくる。

ねぇ、さかた。

そんな優しい笑顔を、あの人にも見せてるの?

その笑顔を見れるのは俺だけだって、思っちゃダメなの?

「……さかた」

「ん?」

「……行ってらっしゃい」

かえってきて。

そんな意味を込めた言葉なんて、きっと頭の悪いコイツには分かんない。
すると、目を丸くさせた坂田が少しだけ屈んだかと思えば、ちゅ、と唇が重なった。
あの日以来の温もりに目を見開くと、一瞬で離れた顔はさっきと同じ優しい笑顔をしていて。

「行ってきます」

そう言って手を振りながら、パタンと静かに閉まったドアの音を最後に、全身の力が抜けたように座り込む。

「………………っ、ばかじゃねぇの………」

どれだけ圧で訴えても、頑なにしてこなかったくせに。
こんな時だけ。しかも別れ際にしてすぐ居なくなるとか、最悪。

「…………っふは、顔あっつ………」

こんなの、期待しないわけないじゃん。

ねぇ、さかた。
俺、お前に会えない時間も、きっと頑張れるから。
だから、次会った時は。

俺の大好きな笑顔で、「ただいま」って言って。

________________

それから、俺の多忙な日々は続いた。

いつも行くカフェにすら通えないほどの忙しい毎日でも、ふと気づくと頭の中には坂田が居たりして。
スケジュールアプリにある坂田との予定が夢じゃないことを何度も確かめて、その度にどこか嬉しくなってる自分がいる事実に苦笑いを浮かべて。

長いようで短かった3週間が、終わりを迎えた当日。

「…………っ、……くそ、」

まだ朝の5時半過ぎ。
もう一回は余裕で寝れるだろうと思い、寝る前に水を飲もうとベッドから起き上がろうとすると、急な目眩に襲われた。
なんとか台所まで辿り着いて水を飲むと、喉の違和感に嫌な予感を覚える。
そっと首に手を当てると、かなり熱くなっていた。

(当日に風邪引くとか、有り得ねぇだろ……)

この3週間、俺があまりに忙しいせいでろくな連絡も出来ずじまいだった。
だから、坂田と会話できること自体も今日が久しぶりだったはずなのに。

(………とりあえず、もう一回寝て治すしかないな…)

寝れば何とかなる。その精神を信じて寝に入ったが、そんな願いは無効だったようで。
次起きた時には、激しい頭痛と普段かかない大量の汗をかいていた。

「っ、ゲホッ、」

(やべぇな……絶対悪化してやがる、)

慌てて時計を見ると、集合時間の1時間前だった。
今から急いで準備しないと間に合わない。
やっぱり寝るんじゃなかった、なんて思いながら無理やり身体を起こして、昨日用意していた服に何とかして着替える。
髪もそれなりにセットしたかったけど、そんな余裕もないから帽子で寝癖を隠すしかない。
ぐわんぐわんと視界が回る中、必死になって持ち物をカバンの中に突っ込んだ。

はやく、行かなきゃ。

おれがおくれたら、アイツ心配しちゃう。

震える身体に鞭を打つように立ち上がって壁に添いながら玄関へと向かい、靴を履く。
ドアの鍵を開けると、くん、と靴紐を踏んでしまった衝動で前に進むことが出来なかった。

「……っ、ぁ…………………………」

靴紐、解けちゃってる。
結ばなきゃ。結んで、はやくいかなきゃ。
そう思うのに、突っ立ったまま動くことができなくて。
結局、そのまま力が抜けてしまい、カバンと一緒に自分の身も同時に床へ倒れ込んでしまった。
意識が朦朧とする中で、坂田に連絡だけはしなければと必死になってスマホへと手を伸ばすけど、そんな力はもう残っていなくて。

何をすることも出来ずに、そのまま意識を飛ばしてしまった。

‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥

“……うらさん”

お前だけが呼んでくれる、俺の名前。
ずるいのに、最低なのに、それ以上に優しくてあったかい人。
お前に会えるっていう一心で、こんなに頑張ってきたのに。
その結果がこのザマとか、聞いて笑っちゃう。
これ以上自惚れるなという、神からの警告なのだろう。

分かってるよ。分かってたけど。

でももう俺、アイツ以外にない生きがいを、どこに向けたらいいか分かんないんだよ。

「…………さかた……ぁ……」

名前を呼んだって、来てくれるわけが無いのに。
そう思いながらツ、と流れ落ちた涙が、そっと何かによって掬われた。
その何かが俺の頬を撫でた後、俺の髪を優しく梳いてくれる。

おれ、これ、しってる。

その手に擦り寄るように顔を寄せながらゆっくりと目を開けると、目の前には俺を心配そうに見つめている坂田の姿があった。

「うらさん、起きた、?」

「…………ぇ……っさ、か…」

驚いて起き上がろうとすると、また目眩が襲う俺の頭を慌てて優しく撫でてくれた坂田が、俺の身体を苦しくならない程度にそっと抱きしめてくる。

「…っ、うらさん、なかなか来ぉへんから、心配になって………家来たら、うらさん玄関で倒れとるし、熱ひどいし、」

「…………ごめん、」

「……っほんま、無理すんなって言ったんに、うらさんのアホ、バカ」

お前にそんな悪口言われる筋合いはねぇよ、なんて思いながらも、その優しさがあまりにも嬉しくて。
思わず泣いてしまいそうなのを慌てて堪えながら、そっと坂田の背中に手を添える。

「……心配かけてごめん、……ありがとぉ」

「……死んどらんくて、……っ、よかったぁ、」

「ぇ〜……?ふは、大袈裟だっつの」

ぎゅぅ、と俺の存在を確かめるように強く俺を抱き込む坂田にドキドキしながら、こんなふうに心配されるのも悪くないかも、なんて感じてしまう。
熱があるせいなのか、いつもより少しひんやりしている坂田の身体に擦り寄ると、すぐに頭を撫でてくれて。

やばい。俺今、すげぇ幸せかも。

坂田に俺の存在を必要とされてるって感じることができるこの瞬間が、あまりにも幸せで。
すぐにどこか消えてなくなってしまわぬようにと、坂田を抱きしめる力を強めた。

‥‥‥‥‥‥‥

「……うらさん、お熱はかろうや」

しばらく抱きしめ合っていた俺と坂田だが、坂田がそう言って俺から身体を離そうとする。
その体温が消えてしまうことが不安で仕方なくて、俺はその温もりを追いかけるように坂田に抱きついた。

「……っ、うら、さ」

「っ、やだ…………はなれんな、ばかぁ……っ」

せっかく久しぶりに会えたのに。
さかた、いつもすぐにいなくなっちゃうから。
行かないで。今日はずっと、俺のそばにいてよ。

「……体温計持ってくるだけやで?」

「…………」

「……離れるん嫌なん?」

「……っ、……ん……」

こくりと小さく頷くと、くすくすと笑った坂田が可愛ええなぁ、なんて言いながら抱きしめ直してくれる。
それだけで胸がきゅぅ、と熱くなって、ぐりぐりと坂田の肩に頭を擦り付けた。

「ぎゅーしながら一緒に取ってこようや。それならええやろ?」

「………ん」

「ん?」

「……はやく、抱っこしろ」

俺が腕を広げると、甘えたさんやなぁ、なんて笑って俺を抱き抱える。
赤ちゃんみたいな自分に呆れてしまいそうだけど、熱のせいでもはや何も考えられない。
とにかく坂田と一緒に居たい、離れたくない思いばかりが残って、本当なら耐えなくちゃならない理性が何も堪えられていない。

でも毎日会っていたはずの人と3週間ぶりに会えて、想いが溢れない方がおかしいんじゃないのか。

「うらさん、ここ?」

「ん………っげほ、っそぉ……そこの2番目の引き出し……」

「はぁ〜ぃ………あったあった、他は?冷えピタとかないん」

「あるわけねぇだろ……そんな滅多に、ゲホッ、風邪ひかねぇし、」

「えぇ〜?俺はいつも常備しとるけどなぁ」

その調子じゃポカリも無さそうやな、と呆れた様子で言ってくる坂田に、定期的に体調崩すお前じゃないと常備なんてしてねぇよ、なんて思ってしまうが、そんな反論するような元気もない。
坂田に運ばれるがままに身を任せていると、いつの間にか寝室までたどり着いていたようで、意識が戻った時には既にベッドに横にさせられていた。
触れていた肌が離れてしまったのは気がかりだけど、ベッドのすぐ横に腰掛けた坂田を見て、遠くには離れないだろうと安心する。

「ん、これで熱はかって。絶対高熱やから」

「わかんねぇ、ッゲホ、ゲホッだろぉ、が」

「もぉ〜ええから!はかってみなさい!」

無理やり差し出されて、意地を張りたくなりながらも体温計を脇へと挟む。
坂田も俺が体調不良だからか、いつもより静かで落ち着いた様子なのが逆に気に食わない。
こんな奴に気を遣われるなんて。乙女心も何にも分かってない坂田なんかに。

今だって、スマホで何かやってるし。
誰かと連絡取ってんのかよ。
もともと今日は俺と会う日だったのに。俺の知らない誰かと連絡なんかしてんじゃねぇよ。

「……ん?…なぁに」

熱を出しているからか、坂田の顔がぼんやりとしか見えなくて。
差し伸べてくれる手のひらに吸い寄るように近づいて、頬を撫でてくれるその温もりに寄り添う。
ぴぴ、ぴぴ、と鳴った音で体制を変えると、自分の体温を知るよりも先に坂田に取られてしまった。

「うげぇ、たっか!」

「……っせ、別にただの微熱だろ」

「9度2分が微熱だなんて言う奴おるかぁ!」

いつもなら叱られる側の坂田に正論をかまされてしまい、不機嫌に頬を膨らませた俺を呆れたように見つめてくる。

「もぉ、うらさんは限界まで無理するんやから」

「………………」

だって。ほんとに、久しぶりなんだよ。こんなに頑張ろうって思えたの。
今、すごく生きてるって感じるんだよ。
お前のせいだなんて、死んでも言ってやんないけど。

「……ごめん、」

「……なにが」

「…………えいが、……約束してたのに」

そう言うと、少しだけ目を見開いた坂田が眉を下げて微笑んだ。
親指でそっと俺の頬を撫でた後、頭を優しく撫でてくる。

「気にせんでええよぉ、そんなの」

「……たのしみにしてた、のに」

「またうらさんが元気になったら行こうや。映画なんていつでも行けるやろ」

「………そういう問題じゃねぇんだよ」

ほんと、乙女心の分かってないやつだ。
俺が今日のために、どれだけ頑張ってきたか。
服だって新しいものをわざわざ買ったし、肌だっていつも以上に手入れした。
また抱いてくれるんじゃ、なんて淡い期待までして、気づけば秘部に手を差し伸べてしまう夜なんて何度もあった。

触れたかった。触れてほしかった。

もう一度。たった一度だけでいいから。

なんて、期待しすぎなんだろうけど。

「……俺はまた、うらさんと先の約束ができて嬉しいけど」

そんなことを言ってくるコイツは、ほんとにずるい奴だ。
下心なしで言ってるんだったら、正真正銘の馬鹿野郎だと思う。
むしろ、下心丸出しで来て欲しいくらいだ。
それだったら俺も、その下心をすぐに受け入れて、身体を簡単に差し出すのに。

「……そしたら、…………」

「………………?」

俺を見つめているはずなのに、さかたはどこか別の誰かを見ているような気がして。
きゅ、と唇を噛み締めた坂田だったけど、すぐにいつもの優しい笑顔に戻ってしまった。

「……ほら、風邪引きさんははよ寝ぇや」

「……やだ」

「はぁ?……なんで、」

「……俺が寝たら、あの人んとこ、いっちゃうんでしょ、」

そんなの、寝られるわけがない。
きゅ、と毛布を握りしめて、驚いた顔をして俺を見つめている坂田を見上げる。

俺のそばにいてよ。
今日は、今日の坂田は、俺だけのものなのに。

「……っ、今日は、お前と映画館デートして、ゲームセンターとか行って、ご飯食べて、そのままホテル行ってヤる気満々だったのに、」

「っぇ、は、はぁ……っ、?!」

「服だって坂田に褒められたかったから新しいの買ったし、っ、身体だって、触り心地良くなるようにいっぱいお手入れしたのにぃ……っ」

「ぇ、ちょ、うらさん……?!」

ボロボロと溢れ出す涙を拭わずに、起き上がって坂田を見つめる。

そんな、困った顔すんなよ。
どうせ後から申し訳なさそうに笑って、嬉しいよ、ありがとう、だなんて典型的なこと言うんだろ。
そんな言葉、俺は要らないんだよ。
不器用な優しさも、ずるい言葉も、全部要らない。

俺はお前の、心が欲しいの。

俺のこと、好きになってよ。

「…………ッ、ずっと、好きなんだよ…………」

俺に、子どもは産めないけど。
結婚だって出来ないし、お前に親孝行なんてさせてあげられないけど。

だけど、俺はお前だけに一生の愛を捧げられる。
お前のことを一番良く知ってるのは、俺だから。

「…っおまえが、坂田が、好き」

あんなに思わせぶりな態度を取ってきたお前なら、俺の気持ちくらい簡単に気づくだろうに。
戸惑ってるお前の顔を見て、困らせてる、なんて思ってしまう自分に情けなくなる。
コイツの行動にいつも悩まされて、何度も好きだと自覚させられたのは、他でもない俺の方なのに。

「……おれ、……さかたになら、何されたって嬉しいよ」

「………っぅ、らさ」

「……さかた…………」

きゅ、と坂田を抱きしめると、坂田の心臓の音が早くなっているのが分かって。
それに何だか嬉しくなって、背中に回した手の力を強める。

さかたも、俺にドキドキしてくれたりするんだ。

嬉しい。もっと、俺を欲しがって。欲張ってよ。

「……さかた………」

「…………っ、」

「……………抱いて……前みたいに…激しく……」

さかたと、もう一度繋がりたい。

そう言うと、無言のままだった坂田が俺の後頭部に手を添えたあと、ゆっくりとベッドに下ろしてくれる。
ギシ、と音が鳴って、俺を見下ろす坂田の熱い瞳に、一度繋がったあの夜の瞳と同じ色をしてることに気づいて一気に胸が熱くなった。

(……さかた…………)

そっと目を瞑ると、額や頬に少しだけ冷たい手のひらがあてられる。
自分の体温よりも低い坂田の手のひらが心地好くて、もっと触れて欲しいと擦り寄った。

「……うらさん、」

俺の名前を呼んでくれる、その優しい声が好き。

目を開けると、欲の詰まった熱い瞳が近づいて。
俺のことしか見えてないって顔してる。
あぁ、嬉しい。そんな瞳が、堪らなく好き。
いつも暖かい体温も、ふわふわした手のひらも大好き。

ぜんぶ、おれの、おれのものだ。

「……うらさん、?」

あつい。アツい。なのに、凍えそうなくらい寒い。
まるで、俺の心の中みたいだ。
いつまでも、俺の心は冷えきったままで。

どんなに願ったって、その冷えた心を癒してくれる相手は、コイツじゃないのに。

(さかた、好き、)

好き。好きなの。

俺を生かせるのも、殺せるのも、お前しかいないんだよ。

俺は、お前にぜんぶあげてるのに。

お前は、俺にぜんぶをくれないんだね。

「っ、うらさん……!!?!」

結局その日は熱が上がって意識を失ってしまい、坂田が慌てて救急車を呼んでくれたおかげで大事には至らなかった。
意識が戻った時には、病院で点滴をつけて寝ている状態で。
しばらくして母親が泣きながら駆けつけてくれて、その涙を引っ込ませるのに精一杯だった。
久しぶりの母親の顔に、なんだか少し老けたな、なんて思って、時の経過を身に染みて感じた。

坂田は、そこには来てくれなかった。

__________________

“……っ、ずっと、好きなんだよ、…………”

朦朧とした意識の中で、つい溢れてしまった本音。

高熱を出していたからといって、自分の記憶からその出来事自体丸ごと消え去ってくれるわけじゃなかったらしい。

伝えてはならない気持ちを、伝えてしまった。

「じゃぁ、私はもう行くからね」

病院から家に帰ってきてからも、しばらく自分の面倒を見てくれていた母親が、荷物を持ってそう言う。

「ん、サンキュ」

「また変に無理しないでね?」

「分かってるって。ありがと」

「坂田くんにもちゃんと連絡しときなさいよ?あの子がいなかったら、今頃アンタどうなってたか…」

坂田の名前に、ぴくりと身体が固まる。
母親はまだ俺たちが仲の良い友人だと思い込んでいるようだ。
もう、友達にすら戻れないほど、歪んでしまった関係だというのに。

まだ心配そうに色々小言を挟んでくる母親を無理やり外に押し出して、大丈夫だからと釘を刺す。
こんな年になってまで、母親に心配される必要なんてない。
そんなことを思っていると、俺の考えていることが分かったのか、少し怒ったような顔で俺を見た。

「……いつまで経っても、アンタは私の子どもなんだからね。変に意地はらないでよ?」

そう言ってくる母親に目を見開いて、この人には敵わないな、なんて笑みがこぼれる。

「ふは、分かったって」

「ほんとに分かってるの?」

「もぉ〜っしつこい!!……ありがと、」

アンタの子どもでよかったよ。

そんなことを思いながら母親に微笑むと、安心したように笑い返してくれた。
他の兄弟はもうすでに当たり前の幸せを掴んでいるのに、俺だけは未だにずっと過去にとらわれて。
だけど、そのままでも良いと言ってくれているような母親の言葉に、少しだけ心が救われた気がした。

“……ろくにしてこなかった、親孝行、みたいな”

そんなことを口に出していた坂田の言葉を思い出して、すとんと心の中に落ちてくる。
俺も、全然親孝行なんてできてない。
俺を産んでくれた、たった一人の母親。
それと同じぐらい、きっと坂田も坂田の父親のことを大切に思ってるんだ。

(……当たり前って、なんだよ)

当たり前の幸せって、なんだよ。

男女が惹かれあって、結ばれて、結婚して、子どもが生まれて。
家庭ができて、子どもを守るために汗水垂らして働くことが「幸せ」なの?

俺の望んだ「幸せ」は、欲しがっちゃいけない「幸せ」なの?

(……苦しいな、)

俺のこの気持ちは、あってはならないもの?

わかんない。わかんないよ。

世間がどんなにダメだと言ってきたって、俺は坂田しか見えないんだ。

坂田が答えてくれなきゃ、この気持ちに何も言葉をつけられない。

失恋?失望?もしかしたら、裏切りなのかも。

“…っおまえが、坂田が、好き”

「期待」も「希望」も、その気持ちに付けちゃいけない名前なの?

そう問いかけても、答えてくれる声はいつまで経っても聞こえなかった。

‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥

カランカラン、と音を立てて中に入ると、いつものマスターが俺を見て微笑んだ。

「いらっしゃいませ、お久しぶりです」

「こんにちは」

コーヒー特有の匂いに包まれて、そのいつもと変わらぬ匂いにホッと安心する。
いつもの席に座ると、いつもならすぐに置いてくれるカフェオレが届くことはなかった。

「…最近、お忙しそうですね」

「……え、?」

「隈ができてます。……しっかり休めてますか?」

マスターの言葉に、近くにあった鏡で自分の顔を見つめる。
最近鏡の前に立って自分の顔なんて見ていなかったせいで、こんな酷い顔をしてるだなんて知らなかった。

「……最近、あまりよく眠れなくて」

寝不足なんですよね、なんて言いながら笑みを作ると、マスターは心配そうに顔を見つめてくる。

「ホットミルクや白湯は睡眠の質を上げる飲み物なので、カフェインの多いものよりそういったものを飲むようにしてくださいね」

余計なお節介かもしれませんが、なんて苦笑いを浮かべるマスターに首を振ると、そっと目の前に置いてくれたのはホットミルクだった。
この酷い顔じゃカフェオレは飲ませてくれないか、なんて小さく笑みがこぼれると、独り言のようにマスターが話し始める。

「お客様と同い年ぐらいの人もよくここに来てくださるんですが、その方もかなりの寝不足だと仰っていたので…お客様と同じようにホットミルクを」

「へぇ……」

ここに来る度、中にいるのは年配の方ばかりという印象が強い。
だから俺と同い年ぐらいの人もこの喫茶店に訪れるんだと、単純に驚いた。

「……守りたい人が、いるらしいですよ」

「……?……はぁ、」

意味の分からないその言葉にマスターの顔を見上げると、ふわりと優しく微笑むだけ。
意味深な言葉の笑顔に不思議に思いながら、こくりと一口ホットミルクを飲んだ。
あったかくて少し甘いそのミルクに、ぽかぽかと身体が温まっていく。

《体調よくなったよ》

《この前はごめん》

2つの簡単な文を送ると、すぐに既読がついた。
返信もすぐに来るかと思えば、送られてきたのはその2分後だった。

《よかった》

《俺もごめんね》

そのごめんは、何に対しての謝りだろうか。
意識を失わせてしまったことに対する謝罪なのか、俺の気持ちを受け止められないという意味の謝罪なのか。
何にしろ、俺を傷つける言葉には十分すぎた。
久しぶりに自分から連絡した返しがこの始末じゃ、もう俺は新たに何かを送る勇気もでない。

その日から既に数日経ったけど、定期的に送られてきていた坂田からの連絡は来なかった。

きっと、坂田も気まづいのだろう。
当たり前だ。ずっと友人だと思っていた相手からいきなりあんな風に好きだと言われてしまったら、どうすればいいかなんて分からない。

(迷惑だったんだ、ぜんぶ)

もう、やめなきゃ。終わらせなくちゃ。

「ご馳走様でした」

温かかったミルクもいつの間にかぬるくなっていて、一気に飲み干してカチャリと音を立てた後、カバンを手に取る。

「次は、カフェオレを用意して待ってます」

そう言ってくれたマスターに微笑みながら会釈をした後、カランカラン、と音を立てて外へ出た。
少しひんやりとした空気が頬をくすぐって、季節が秋に変わりつつあることを教えてくれる。
まだ4人で活動していた時は、9月が終われば夏の終わり、だなんて思っていたけど。

(遅いようで、早いな)

どんなに独りで取り残されていたって、時間は先へと進んでいく。
みんなと過ごした過去の思い出が詰まった季節が、またひとつひとつと塗り替えていく。

俺にとって、一番相応しいエンディングはどんなものだろう。

映画や漫画みたいに、綺麗な結末がいいな。

季節が秋へと進んでいけば暗くなるのも早くなって、気がつけば空に月が浮かんでいた。
あまりにも綺麗で憎たらしく思えてしまうほどの、大きな大きな満月だった。

(……綺麗だ)

まるで俺と坂田は、月と太陽みたいだ。

近付くことすら許されない、熱くて大きな存在。
自分からは触れられなくて。だけどその大きな熱に抱きしめられる度に、全身が生き返るみたいに暖かくなって。
アイツの光のおかげで、俺は今まで色んな形で輝くことができた。
でもその光がなくなったら、俺は輝くことすらできない。

そう。君は俺の何倍も大きくて、綺麗だ。

“月が綺麗だ”って思えるのは、他でもない“太陽”がいるから。

“俺”が心から好きだと思える人は、“坂田”しかいないから。

「……ねぇ。月、綺麗だよ、坂田」

キミも、どこかでこの月を見てくれてるのかな。

月は、太陽がいなきゃ輝くことはできないけど。
太陽は、月なんか無くてもいつもと変わらない。
ただただ精一杯に自分で輝き続けるんだ。

そう。そういう奴だから、好きになったんだ。

(……電話、してみようかな)

いきなり電話して、月が綺麗だよなんて言ったら、どんな反応するんだろうな。
変な豆知識ばかり知ってる奴だから、告白だってすぐに分かっちゃうかな。

でも、どんな言葉でも良い。

さかたが、俺だけに出してくれる声を聞きたい。

携帯をカバンから取り出して、LINEアプリを開く。
この前送られてきた《ごめんね》なんていう坂田の返信に一瞬手を止めてしまったけど、構わずに通話ボタンをタップした。
少し緊張しているみたいで、心臓がバクバクと大きく鳴っている。
そっと耳に当てると、しばらくコールが鳴り響く。

(…………出ない、なぁ)

いつもなら、すぐに出てくれるはずなのに。
寝てるのかな。アイツ、不眠症のくせにたまに変な時間まで寝てる時があるから。
寝てるとしたら、起こしてしまうのも億劫だ。

諦めようと思い顔を上げると、ガタガタッ、と何かが倒れるような音にビクリと身体が硬直する。
すると、目の前にある曲がり角から猫が歩いてくるのを見つけた。
その猫は俺を見て目を細めながら、にゃぁ、と小さく鳴いた後、また元の場所へと戻っていってしまう。

それを見て、俺は自然とその猫を追いかけた。

曲がり角を曲がると、その猫はどこかに行ってしまったみたいで。
そんな猫の存在も一瞬で忘れてしまうほど、この目で見てしまった光景に頭が真っ白になった。

それはまるで、ハッピーエンドを迎えた恋愛映画のワンシーンのようだった。

男女二人が抱き合って、唇を重ね合う在り来りなハッピーエンド。

その相手は、叶うことなどなかった俺の想い人。

俺が、ずっと欲しかった人だった。

__________________

ガチャ、と扉を開けて、鍵も閉めずに靴を玄関に脱ぎ捨てる。
電気も付けることもせずに、そのままソファに倒れ込んだ。
真っ暗で、時計の音がカチ、カチ、と響くだけ。
さっき見てしまった光景がどうしても頭にフラッシュバックして、ぎゅ、と強く目を瞑った。

(…………さかた、だったなぁ……)

頭が真っ白になった中で、キスをしていた人が坂田だったということは、はっきりと瞳に映っていた。
俺の電話に応答してくれなかったのも、きっと彼女といたから。

心に決めた、大切な婚約者と一緒だったから。

「ッ、ぅ、え゛……っ」

思い出した瞬間、ひどく吐き気がした。
慌ててトイレに駆け込んで、熱くなった喉から全てを吐き出すように嘔吐く。

は、は、と息を吐くのに、まるで息が詰まったように苦しくなる。
呼吸をしてるはずなのに、窒息死しそうなほどに苦しくて痛くて。
冷や汗が止まらなくて、便器にしがみついた手のひらにも汗が滲んだ。

「…………ッ、ふ」

ポタ、ポタ、と小さい雨粒が床へと零れていく。
こんなにアイツに苦しめられて。
それなのに、狂いそうになってでもアイツの優しさに漬け込んで。甘えて、期待して。

もしかしたら、アイツも俺のことを好きになってくれるかも、なんて。

気持ち悪い。反吐が出る。

馬鹿だ、俺は。

「ッ、ふ、……っ、ぅ、ああ゛…………ッ」

一体俺は、何に期待してたんだろう。

優しいキスだって。甘い瞳で見つめてくれたセックスだって。全部坂田が俺の期待にそっと応えてくれただけのものだった。

何度そうやって自覚すれば気が済むんだ、俺は。
面倒臭いのも大概にしてほしい。
坂田だって、好きでもない奴の面倒を見ることすらしんどかっただろうに。

俺が貰ったのは、全部偽物の愛だったのに。

それなのに、その愛を感じたら泣いてしまうほどに嬉しくて。

婚約者って言ったって、まだ籍を入れたわけでもない。
親孝行っていう名前だけに囚われて、ただ焦ってるだけ。
まだ現実味なんて坂田もないだろうし、女の人の扱い方に慣れてない坂田はきっと断念するだろう。

そんな惨めなことを考えて背を向けていた自分が、あまりにも小さくて情けない。
気持ちが悪い。消えてしまいたい。

死にたい。

「…………つかれちゃった、なぁ、」

なんで俺、生きてるんだったっけ。

こんな独りの世界で、生きる意味なんてどこにもないだろうに。
とっとと転生して、違う自分に生まれ変わって新しい人生を歩めばいい。

こんな俺は、もう必要ない。
誰からも、必要されてないから。

涙で濡れた床を拭こうともせず、ボロボロになった顔を確認することもなくソファへと戻って倒れ込む。
今日はもう、立ち上がる気力すらない。
胃の中にあるものを吐くだけ吐き出したから、それに体力を使ってしまったのだろう。
寝不足だったせいか、ソファに倒れ込んだ途端に瞼がだんだん落ちてくる。
その閉じていこうとする瞼に身を任せて、そのまま意識を手放した。

カバンの中で何度も振動していた携帯には気づかないまま、俺は明日の死を覚悟した。

__________________

「もうそろそろ終わろうかな〜」

覚悟を決めて始めた、俺の最期の配信。

いつも通り他愛のないことを話して、キリのいいところで枠を閉じる。
今日死ぬつもりの男がこんな風に呑気に配信をするだなんて、きっと皆は気づかないだろうな。
いつまでも俺を好きでいてくれるリスナーが、俺の言葉を受け取ると同時にコメントで返してくれる。
その愛溢れるコメントに、思わず笑みが零れた。

絶対、忘れない。

ここであった全てのことを。
俺を支えてくれた、一人一人の存在を。

一生分の宝物を、全部抱えて持っていくから。

「おやすみ。愛してるよ」

いつものように愛の言葉を吐くと、リスナーも同じように愛の言葉をくれる。
その愛を受け取れるのも今日が最後だと思うと、ぐっと何かが込み上げてきた。

こんなどうしようもない俺を、見つけてくれた。

「うらたぬき」を愛してくれてありがとう。

「愛してるよ。…………本当に、ありがとう」

大好きな場所だった。

居心地が良くて、極たまに弱音も吐き出してしまって。
その度に反応をくれるみんなに嬉しくなって、また更に本音を伝えて。

この世界に入って、本当によかった。
浦島坂田船に出会えて、大切なものが増えて。
きっと何でも出来るって、思わせてくれた。

この気持ちは、墓場まで持っていくよ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥

(ここなら、きっと誰にも見つからない)

人気の少ない、廃ビルの屋上。
今日の朝から、なるべく人に見つからずに迷惑のかからない場所を探して、ようやく見つけた場所。
開いてないかと思ったけど、ドアの鍵が錆び付いてて開いたままになっていた。
立ち入り禁止の札も掛けられていたけど、今日だけは許して欲しい。

ギィ、と音を立ててドアを開けると、冷たい風が中に入り込んでくる。
もう夜も遅く、外に出歩いている人はほとんど居ないだろう。
昨日は綺麗な月が見えていたのに、今日は曇り空なせいで月が見えない。
今にも雨が降り出しそうな空だった。

「………………」

ゆっくりと歩き出して、奥へと進んでいく。

志麻とセンラには、もちろんこのことを伝えていない。
勘のいい2人だ。何か感謝を告げてしまえば、すぐに俺を心配して見つけようとしてくるだろう。
高知で幸せな家庭を築いているまーしぃにも、新しい場所で一生懸命頑張ってるセンラにも、今の俺は顔向けできない。

ふと俺たちの過去にあった航海を思い出して、懐かしい気持ちになってくれたらいい。
その思い出の片隅に、俺を置いてくれたらいいな。
大好きな2人には、いつまでも笑顔満点の俺を思い浮かべてほしいから。

弱いところも、ましてや死に様なんて、絶対に見せたりしない。

“___うらさん”

さっきから何度も、俺の名前を呼ぶアイツの声が聞こえてくる。
振り払おうとしても、その声は俺を一切離してくれなかった。
ズボンに入れていた携帯の電源を付けると、不在着信が何件も入っていて。
それが全部アイツからだということに驚いていたけど、アイツに今の俺の居場所なんて分かるはずがないから、気にせずに無視を続けた。

“__行かないで、うらさん”

あぁもう、うるさい。
誰のせいでこうなったと思ってるんだ。

頭の中で必死に呼び止めてくる坂田の声を振り払って、柵を掴む。
ガシャン、と音を立てながら登りきって、柵の反対側に足を降ろした。

このまま前に倒れ込めば、俺は下へと落ちて死ぬ。

ゴクリと息を飲んで、深く深呼吸をした。

“__うらさん、うらさん……!!”

うるさいってば。

なんで、なんでお前はそんなに必死なんだよ。
俺が死んだってどうでもいいだろ。
お前は当たり前の幸せを掴んで、こっちの世界で幸せに生きろよ。

俺はもう、お前を想うのに疲れたんだよ。

解放してよ。自由にさせてよ。

今でもお前を愛してやまない馬鹿な俺を、赦(ユル)してよ。

「ッ、うらさん!!!!!!!!」

錆び付いていた扉が勢いよく開かれる音が後ろから聞こえた。

ウソ。なんで。

その音と同時に、強い風が吹いて。
俺の身体がその風に押されるみたいに、前へと倒れていく。

「うらさん____!!!!!!」

大好きな、俺の愛称。ムカつくほどに好きな声。

さかた。

おれのだいすきな、さかただ。

身体が倒れていく中で、そう頭が核心を突く。
それだけで涙がぶわりと溢れて、どうしようもない多幸感に満たされた。

俺はその声を最後に、意を決して目を閉じた。

__________________

『___……月、綺麗だね』

俺を見てそう呟く君は、涙を溜めていて。
それなのに酷く幸せそうに笑って、俺を見つめて。

その涙が上へと流れていくのを見て、綺麗だと思った。

月の光に反射された瞳も、涙も、全部が綺麗で。
まるで、空に輝くお星様みたいだった。

そんな風に思いながら、俺もふわりと微笑んで。

『           』

そう返すと、キミは輝いている瞳を更に大きくさせて。
やがて、幸せそうに微笑んだ。

そんなキミを、俺は強く強く抱きしめて。

  いかないで  

一緒に落ちていってるのに、俺は不思議にもただそれだけを願った。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥

「っ、はぁ、っはぁ、……ッ」

慌てて飛び起きると、俺が居たのは空でも床でも無くベッドの上だった。
大量の汗が身体中を伝って、ひどく気持ちが悪い。

「……夢………」

きっと、あの夢で一緒に落ちていたのは、他でもないうらさんだった。

浦田渉。

俺の青春の、ど真ん中に居た人だった。

たった2歳差なのに俺より何倍も大人で、しっかりしてて。
強くて影響力の大きい人なのに、自分のことに関してだと不思議なくらいに消極的になって。
人のことばかり世話をして、自分のことは全部後回しにして。

あんなにも情に熱くて真っ直ぐな人に、俺は初めて出会った。

『皆で、この船を降りよう。』

迎えたくなかった、航海の終わり。
メンバーであるセンラと志麻の言葉を耳に流しながら、あぁ、とうとうこの日が来たか、なんて思って思わず泣きそうになってしまった。

この船旅は、俺にとってかけがえのないものだった。

俺のもう一人の兄のような存在で、俺がどんなに無茶なことをしようとしても、大きく笑って受け止めてくれた志麻くん。
出会った当初はあんなにも怖くて近寄り難かったのに、誰よりも涙脆くて、友情に熱くて、頼りがいのありすぎた人だった。
まーしぃと一緒にはしゃいだ冬は、年々楽しさが更新していくほどに騒ぎまくって。
リスナーの皆には必ず来て欲しいと思ってしまうほど、俺とまーしぃらしさが溢れたライブができた。

きっとこの人じゃなきゃ、俺はあんなにも輝くことができなかったと思う。

最初は対抗心があって、コイツにだけは負けたくないだなんて思ってたけど、隣に居ない世界線は考えられないだなんて思ってしまった、センラ。

センラは、俺の知ってる人間の中でトップを争うくらいに面白くてすごい奴だった。
勝手にライバル視してた頃が懐かしく感じてしまうくらい、今はもうセンラの優しさが詰まった寛大な心に甘えて、同い年だとは思えないくらい大人っぽい時もあったけど、話すと無邪気になるその子どもっぽさが好きだった。
話し上手なセンラだったけど、それ以上に聞き上手で。
色んな角度から飛び出してくる俺の話を、いつも笑いながら聞いてくれた。

もっと、センラと色んなこと挑戦したかったな。

うらさん。

きっと生涯、この人の隣に座れるのは俺だけだと、無意識に確信していた。
確証なんてものはどこにもなかったけど、うらさんが俺の隣にいることが当たり前だと思っていた。

だって、この人は俺のことが好きだったから。

恋愛とか、そういうちっさなものじゃない。
もっと大きくて、言葉じゃ表せられない強い関係で繋がっていたんだと思う。
だから、その存在に馬鹿みたいに安心してた。

君の隣にメンバー以外の誰かがいると、無性に奪い取りたくなった。
楽しそうなうらさんの笑顔を見る度、俺にはもっと色んな顔を見せてくれる、なんて無意識に思ったりなんかして。
どんなに色んな人に愛されていたって、結局は俺の隣にいてくれた。
メンバーにすら誘えない映画も、俺にだけは声をかけてきてくれて。
ライブでの絡みだって、俺だけじゃないんだ、なんて拗ねた顔を見せると、優しくはにかみながら「お前だけだよ」なんて言ってくれて。

正直言って、うらさんは俺の優越感という感情を満たしてくれる唯一の存在だった。

『…分かった』

船を降りようという言葉に、うらさんは意外にも反対しなかった。
思わず俯いてしまった俺とは違って、もううらさんも別の未来へと足を向けているのだと分かって、何だか少し寂しかった。

『この旅が終わっても、今まで歩いてきた道はかけがえのない宝物だから』

『そうやなぁ。終わったって、絶対にいつでも会えるから』

『近況報告とかするために、定期的に4人で飲みに行こうや』

気が早い3人をそばで見つめながら、俺はぼんやりと眺めて笑った顔を作ることしか出来なかった。
何年も前から、俺はこの日のことを想像していたはずだった。
いつまでも続けられるものだなんて思っていなかった。
それなのにその日が来てしまえば、あまりの呆気なさに拍子抜けしてしまったのだ。

これから、俺は何をして生きていけばいいのだろう。

生きがいなんて、俺はここしかなかったのに。

『また明日な〜』

『腹出して寝んなよ坂田ぁ〜』

『寝ぇへんわ!変なこと気にすんなや!!』

その日の夜、志麻とセンラの2人と解散した後。
さっきまでいたはずのうらさんが近くに見当たらないことに不思議に思って、さっきまで4人でいた部屋に戻ってこっそりと部屋を覗いた。

『……っ、…ふ……ッひっ、く………』

部屋の中から聞こえてくる啜り泣く声に、ピタリと足が止まる。
その部屋の中に居たのはやっぱりうらさんで、誰も居ない暗くなった部屋で一人泣いていた。
俺はその部屋に踏み込む勇気もなくて、ただただドアの前に突っ立ったままうらさんの押し殺したような泣き声を聞いていた。

『ッ、……ぅう゛____ッッ………』

うらさんは、浦島坂田船のためなら死ねる、だなんて言ってくれた。
大きな背中で、俺たちの居場所を守ってくれた。
誰よりも無邪気で強いその笑顔の裏には、いつも努力の証としての涙があって。
一見強く見えるけど、いちばん弱くて繊細な人。

あんなにも、大事にしてくれていたんだ。
そんなに大切だった船を、簡単に手放せるはずがないなんて、分かってたのに。

“皆で、この船を降りよう。”

“…分かった”

『……っ、ふ、……ぅ゛……ッ』

ドアの壁の向こうで泣いているうらさんに気づかれぬように声を殺しながら、俺も大粒の涙をこぼした。

おれも、離れたくない。

まだ、みんなといっしょにいたいよ。

その後しばらくして、俺たちは『浦島坂田船』という大きな船から降りた。
別々の道に歩いていくメンバーを見て寂しい気持ちが募ったけど、その背中を見て、俺も前に進まなきゃという糧を作った。

その日を境に、うらさんとはあまり連絡を取らなくなってしまったけれど。

うらさんが、こうして船を降りた後も『うらたぬき』として活動しているのは知っていた。
まだその存在があることに嬉しくなって、うらさんが活動しているSNSに通知を入れることまでしてしまった俺は、まだその居場所に甘えていたかったのだろうか。

『うらたぬき@浦島坂田船』

その名前を見る度に、酷く安心していた。
だけどそれに比例するみたいに、不安や心配も募っていった。
うらさんが動かすSNSの呟きを見る度に、あの日一人で泣いていたうらさんの姿を思い出して。

今でも一人で抱え込んでたりしていないだろうか。
その船の名前を今でも付けていることで、逆にそれが重荷になったりしてないか。

そう考える度に、またあの無邪気な笑顔を隣で見ることができたら、なんて考えてしまう。
もう、あの人の隣には別の誰かがいるのかもしれないのに。
そう思うだけで、心の奥底が痒くなるような心地がした。

(あの人は、あの人なりに幸せになってくれればいい)

俺は男だから。
うらさんと同じ男だから、うらさんのことを『一人の友人』としてでしか支えられない。
どんなに自分が隣を占領していたかったとしても、うらさんが選ぶべき人間は俺じゃないんだ。
俺を選んで、なんて言ってしまえば、きっとうらさんは本当に俺を選んでしまうだろうから。
うらさんの人生を狂わせてまで、俺はあの人の隣に居座って良い人間じゃない。

だから、うらさんの良さや弱さを俺以上に分かってくれる人と出会って、結婚して、誰よりも幸せに暮らせばいい。
その時は、友人代表として、俺からの言葉を受け取って泣いてくれたら。

なんて、虫が良すぎる話かもしれないけど。

_____月が綺麗。

そう言いながら落ちていくうらさんの姿を夢に見て、冷や汗をかいて起き上がった、悪夢みたいな日の夜。

ブブ、と振動したスマホを見ると、うらさんが配信するという通知が出ていた。
その通知を見た瞬間肩に乗っていた重りがすとんと落ちた感じがして、余程あの夢に悩まされていたんだと気づいた。
悩むまでもなくその通知をタップすると、画面が移り変わる。

『やっほ〜。今LINEもするからちょっと待っててね』

いつもと変わらないうらさんの声に、ほっと安心する。
うらさんの声って、どうしてこんなにも心地良いんだろう。
悪夢で魘された夜のせいで今日は全く寝れていなかったから、その安心する声に一気に瞼が落ちていきそうになる。

『夕飯?あー…まだ出前届いてないから食べてないや』

他愛のない会話に、どんどんと力が抜けていく。
配信を聞いたまま、少しだけ寝てしまおうか。
そんなことを思いながらいそいそとベッドに入ると、聞き覚えのある名前が配信の音に乗った。

『映画?……へぇ、あれ新作出すんだ』

それは、うらさんと見に行った映画の名前だった。
新作やるんだ。前回はすごい面白かったけど、今回の作品はどんな感じなんだろう。
寝転がりながら、俺はその映画名を検索し始める。

『この映画、坂田と一緒に見に行ったなぁ』

「……っ、え」

自分の名前に、一瞬で頭の中が真っ白になる。
映画名を検索しようとしたこともその瞬きの間に全て吹き飛んで、配信画面に釘付けになってしまった。

『久しぶりに誘ったら、一緒に行ってくれたりするかな』

その言葉に、ぶわ、と身体中から何かが湧き上がってくる感じがした。
うらさんが、また俺を見てくれる。
可愛くて愛おしいと思わせてくる無邪気な笑顔で、俺の隣に居てくれる。

そう思っただけで、またふつふつと優越感が溢れてきた。

コメント欄も、俺の名前に喜ぶ人が居て。
まだ、俺の存在を愛してくれている人がいるんだ。
そう感じただけで、何だか泣きそうになってしまった。

『………会いたいなぁ……………………っ』

だから、その張り裂けそうな声を聞いた瞬間、迷わずに家を飛び出して。

俺が知っている場所にまだ住んでいるだなんて確信もないのに、走っていたタクシーを捕まえてその住所を叫ぶように伝えた。
その家に着いてすぐにインターホンを押すと、さっきまでの緊張が更にドッと押し寄せてくる。

この部屋の中で、あの時みたいに一人で泣いているんだとしたら。
今度は、そばに寄り添いながら抱きしめられるように。

ドアを開けた後、目を大きく開いて俺を見上げるうらさんに、俺は前と同じように「うらさん」と呼んだ。
その名前を呼ぶと、やがてくしゃりと顔を歪ませて瞳を潤ませるうらさんに思いが溢れて。

「……っふ、……ぅ゛、なんでぇ……っ、?」

その声と表情に、俺は躊躇う間もなくうらさんを強く抱き締めた。
ひとりで、一体どれだけ泣いていたのだろう。
こんなにも暗い部屋で、過去を思って辛い気持ちになっていたんだろうか。

そんなもの全部、俺が無くしてあげるから。

キミを守りたい。支えたい。

俺の隣で、笑ってほしい。

もう過去のモノだと思って奥底に閉じ込めていた感情が、次々に浮上してくる。
俺の腕の中で擦り寄りながら泣いているうらさんをもう一度強く抱き締めて、その存在があることを噛み締めていた。

そんなことをする権利は、俺には無かったのに。

ソファに座って、ある程度落ち着いた様子に戻ったうらさんが聞いてきた女の人の存在を伝えると、またホロホロと涙を零すうらさんに目を奪われた。

なんで。どうして。
どうして、うらさんが泣いてるの。

そう心では思う反面、身体は咄嗟に動いてしまったようで。
今思えば、俺の身体はかなり正直だったんだと思う。
音も無く触れてしまった唇が柔らかくて、涙を溜めた目を見開いて俺を見つめる表情が可愛くて。

「……ごめん」

自分のしてしまったことの理解ができずに、咄嗟に謝った。
頭を冷やさなければと立ち上がろうとすれば、うらさんに抱きしめられて。
期待するかのような甘く熱い瞳で見つめられて、息が止まりそうになった。

「………っ、…さかた、……」

その声に、俺の理性がぷつんと切れる音が重なる。
ベッドへと押し倒せば、抵抗すると思っていたうらさんの瞳がとろんと甘く蕩けて。

なんで。そんな瞳で俺を見るの。
今まで一度も、そんな素振り見せなかったのに。

そんなことを思う反面、自分の身体は素直にうらさんの身体に溶け込んだ。
きっと、うらさんが俺に見せなかったんじゃない。
俺がその瞳を見ないように避けていただけだと気づいたのは、うらさんの身体の奥底に自分の熱を突いた瞬間だった。

「ッあ、は、ぁ……ッ」

勿論、男を抱いた経験なんて無かった。
だけど、うらさんを早く俺のものにしたくて仕方がなかった。
時々辛そうに顔を歪ませるうらさんの頬をそっと撫でると、ふにゃ、と溶けるようにその歪みが解けて俺の手に擦り寄ってくるうらさんに、ドクンと身体が熱くなって。

「……ッは、……うらさん……ッ」

「ひぅ、ッあ、さかたぁ、ンぁ、ッ……ッ」

同じ男のはずなのに、全然違うカラダ。
どこを見ても白くて柔らかくて、溶けそうな程に熱い。
ぐ、と奥まで熱を押し込むと、逃げるように腰を浮かせる身体を逃がさぬように抱きしめた。

「ッぁ゛あ…………ッ♡」

ずちゅ、と粘膜と肉壁が擦れる音が鳴ると同時に、うらさんの口から甘い嬌声が出る。
俺よりも低めの声をしているはずのうらさんが、そんな甘い声を出せるなんて。
可愛い。もっと聞きたい。深く繋がりたい。

「ッうらさん……ッ」

「っひ、ぅ゛……ッさかちゃぁ、すき、すきぃ……ッ♡」

俺を離さぬように、手と足で俺の身体をガッチリとホールドしてそんなことを言ってくるうらさんに、俺の自身がむくむくと大きくなって。
多分、うらさんは深い意味なんて考えていない。
雰囲気作りで言っただけかもだし、単なる言葉の綾だろう。
好きだなんて、いろんな種類があるから。

それなのに、俺は自分の都合のいいように解釈したくなってしまう。

「……おれも、……ッ俺も好き………ッ……」

神様。

今日だけ、この人を愛すことを許して。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

その日から、俺は同じ夢を毎日のように見るようになった。

いちばん最初に見た夢と同じように、「月が綺麗だ」と涙ぐみながら笑って一緒に落ちていくうらさんの姿。
その度に俺が言いたくもない綺麗な返し言葉を告げて、一番下まで落ちていく寸前で目が覚めてしまう。

俺もうらさんも、死んだわけじゃない。
夢でだって、現実でだって、まだ生きてる。
それなのに、起き上がった瞬間はいつも全身が痺れるような感覚と、大量の冷や汗。
そして最近その悪夢から目が覚めると、いつも泣いていた。

“ッ俺は、俺は______…………!!”

落ちていく場所も、見知らぬところで。
だけど、一つ一つのパズルの欠片が埋まっていくみたいに、夢が鮮明になっていく。

何かを訴えてくるようなうらさんの悲痛な声。
表情も言葉も、曖昧でよく分からない。

だけど、うらさんが泣いているのだけは分かって。

どうして。なんで、そんな悲しい顔をするの。

俺、うらさんの笑ってる顔が見たいよ。

そう思うのに、その思いに反比例するかのように、段々と鮮明になっていく君の泣き叫ぶ姿。

いかないで。死のうとしないで。
今までの思い出も全部、跡形もなく無くなってしまったみたいで悲しくなる。

どうしてそんな辛そうな顔をしてるの。

なんで、遠い場所へ行こうとするの。

ねぇ、どうして、?

「……今日も来たのかよ」

「……え、来たらあかんかった?」

絶対、アンタを死なせたりなんかしない。

その一心で、気づけば俺はうらさんの家に通いつめていた。
ただの夢だと言われてしまえばそれまでだけど、あまりにもリアルすぎるその夢が、正夢にならなければいいと願うばかりだった。
久しぶりに再会した時は涙しか見せなかったうらさんが、俺が来る度にホッと安心したように顔を綻ばせる姿が愛おしくて。

俺しか飲むはずのないコーラがうらさんの家にいつもあることも。
当たり前のように迎え入れてくれて、ソファでも隣に座ってくれることも。
次の約束も、こまめな連絡もして欲しいと思ってるのに、それを頑なに自分から言わないことも。

全部俺を想ってくれての行動だと思うと、思わず笑みが零れてしまいそうだった。

夢の中のうらさんとは似ても似つかない優しくて穏やかな表情に、ホッと安心してから帰路に着く。
それが、今の俺にとっての幸せだった。
だからきっと、この悪夢からもいつか解放される時が来るだろう。

そうなるはずだと、思っていたのに。

いつまでも待ち合わせ場所に来ないうらさんに不思議に思って家まで行けば、開いていたドアの先で倒れ込んでいるうらさんの姿。
頭が真っ白になって、震えそうになった足でうらさんの元へ向かい、慌てて身体を起こす。

「ッ、うらさ……ッうらさん…………っ、?」

名前を呼んでも、肩を叩いても反応が無くて。
どうしよう。とりあえず、どうすれば。
真っ白な頭で考えようとしても、何も思いつかなくて。
だけど、は、は、と荒く呼吸をするうらさんを見て、肩の力が一気に抜けた。

生きてる。

まだ、大丈夫。生きてる。

___よかった、

それだけで、涙が知らぬ間にうらさんの頬へと落ちていく。

「ッ…………っ、ぅらさ、……ッ」

キミを失うのが、こんなにも怖い。

ぎゅぅ、と強く抱きしめると、トクン、トクン、と少し早めの心臓の音が聞こえてきて。
その生きている音に安心して、その頬にまた涙を零した。

寝室までうらさんを抱えて、寒くないように肩まで掛け布団を乗せる。
辛そうな顔をじっと眺めていれば、やがてゆっくりと目を覚ますうらさんに、緊張していた身体が一気に解けていく。

「……心配かけてごめん、……ありがとぉ」

「……死んどらんくて、……っ、よかったぁ、」

「ぇ〜……?ふは、大袈裟だっつの」

そう言ってクスクスと笑ううらさんだけど、俺にとっては大袈裟なものでも何でもなくて。
そっと背中に添えてくれる手の暖かさに、まるで俺があやされているように思える。

大丈夫。ちゃんと、この腕の中にいる。

その存在を噛み締めるかのように、俺はうらさんの小さな身体を強く抱き締めた。

熱を出しているからか、いつもより素直で甘えたなうらさんを看て、なんだか俺よりも幼いように思えた。
その甘えたな行動を受け入れていると、申し訳なさそうに謝られてしまった。

映画なんて、またいつでも行けばいい。
キミが生きていれば、それだけで俺は十分だから。

「……俺はまた、うらさんと先の約束ができて嬉しいけど」

約束があれば、うらさんはきっとその約束を破ってまで死のうとしないから。
だから、これからもっと、俺と未来の約束をしよう。

そうすれば、うらさんは俺の隣で、これからも笑ってくれるんでしょ?

「…………ッ、ずっと、好きなんだよ…………」

泣きながら思いの丈を伝えてくるうらさんに、俺は何も言えなくなってしまって。
混乱する頭の中で、うらさんが俺に、恋愛感情を持っているんだと知った。
あの一夜からじゃなく、ずっと前から。

でも、俺じゃダメだよ、うらさん。

俺は、うらさんと同じ「男」で。
うらさんなら掴めるはずの幸せを、俺相手では掴めないんだよ。

だから俺は、一度アンタの隣を手放したのに。
何年もの間、うらさんの幸せを望んでいたはずなのに。
そのはずなのに、嬉しくて堪らなかった。

この人、やっぱり俺のことが好きなんだ。

そうだと分かったら、居てもたってもいられなかった。

結局、病状が悪化してしまったうらさんを慌てて呼んだ救急車に乗せて。
随分前に連絡先を交換したうらさんのお母さんに電話をして、俺はそのまま家へと帰った。

また、思わず触れてしまいそうになった手のひらを見つめて、強く握りしめる。
ぎゅ、と強く握りすぎて、カタカタと手が震えていた。

「…………馬鹿や、おれ、」

好きだと言われてから、自分の気持ちの在処に気づくなんて。
うらさんに感じる優越感も、独占欲も。
触れたいと思ってしまうこの衝動も。

こんなの全部、うらさんが好きってことやんか。

そう自覚してしまった途端、心のどこかがストンと落ちていく感覚がする。
そうだったんだ。
甘く脆いこの感情から目を遠ざけて、見ないようにしていただけだった。
自分が自覚するずっと前から、俺は無意識にうらさんを手に入れたかったんだ。

ずっと一緒にいたかった。
俺の隣で、幸せに笑ってる姿が見たかったんだ。

自覚してしまえば、今まで何も考えずにできていたことが全くできなくなって。
気楽に取っていた連絡も、家に訪れることさえもできなくなってしまった。

(……ほんま、気の弱い奴)

俺を、ずっと好きでいてほしい。
他のやつに目移りしないで欲しい。
そう思う度に、初めて知った恋心に頭がおかしくなりそうで。

(嫌われたくない)

うらさんから嫌われることが、何よりも怖い。
こんなに気持ち悪いことばかり考えて、引かれたりしたら生きていけない。
そんな女々しいことばかり考えてしまって、うらさんに顔向けできるような状態になれなかった。

そんな俺のせいで、全部が崩れ落ちてしまった。

ある日、うらさんから一つの不在着信があった。

その時運悪く携帯ごと家に忘れてしまっていたから、気が付いたのは夜遅くで。
その不在着信に、何だか少しだけ胸がざわついた。
慌ててかけ直したけど、何時間も前に着信があったせいでその電話が応答されることは無かった。

「……寝てるん、かな」

時計を見ると、既に2つの針とも上を向いていた。
配信の告知も無かったから、きっともう寝てしまっているのかもしれない。
起こすのも申し訳ないと思い、そのままスマホを手放してベッドに寝転がった。

(…………大丈夫、大丈夫や)

寝るのが怖くなってしまったのは、一体いつからだろう。
段々と鮮明になっていく夢を見る度、その夢が現実になる時間が迫ってきているように感じて。

不安が襲う度にうらさんの家を訪れて、俺を見てくれる瞳に安心していたのに、今じゃそれすらもできていない。

(…………会いたいなぁ)

あの日は、「会いたい」と配信越しに言ってくれたうらさんの声を聞いて、俺が会いに行ったんだっけ。
既に懐かしく感じるこの前の出来事に、少しだけ笑みを浮かべる。
うらさんも、こんな気持ちで俺を想ってくれていたんだろうか。

会いたい。抱き締めたい。触れたい。

今のままの関係じゃ足りるはずもない気持ちが、ふつふつと膨らんでいって。
その気持ちを食い止めるように、布団に覆いかぶさった。

“___私のせいで後悔したとか言ってきても、絶対に聞かないからね”

分かってる。

もう、覚悟を決めたから。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

久しぶりのうらさんの配信を耳に傾けながら、今日も生きてる、なんてまた安心してしまう。
だけど直接会わなければ前みたいに大丈夫だとまでは思えなくて、それなのに会えずにいる自分のもどかしさに腹が立つ。

今日見た夢は、いつもに増して鮮明だった。

都会なのに、たくさんの星と大きな満月で輝いていて。
俺を見て驚いた顔をした後、涙ぐみながら微笑んで一緒に落ちていく姿。

“__さかた、月、綺麗だね”

違う。
俺は、アンタに生きてて欲しいんだ。
嫌だ。死なないで。死んじゃダメだ。

死んだら、もう何もつくれない。

船に乗ったたくさんの思い出を、二度と思い返すことすらできない。

そんなの、アンタが一番嫌なはずなのに。

どうして、現実から逃げようとするんだ。

ドサッ、という強い衝撃と鈍い音に目を覚ませば、寝ていたベッドから落ちてしまっていたようだった。
ベッドから落ちたのなんていつぶりだ、なんてぼんやりとした意識の中思っていたけど、あの鮮明な悪夢から襲ってくる不安はいつまでも癒えなくて。

配信の告知を見た後、また肩の力が抜けていく。
今日も、俺と同じ時間で生きてる。
いつも通りの配信だと思って聞いていれば、どこかいつもと違う雰囲気のうらさんに不思議に思った。
内容も、話す声も、いつもと変わらないはずなのに。
それなのに、どこか胸の奥がザワザワして。

『__おやすみ。愛してるよ』

いつもと同じ、配信終わりの愛の言葉。
永遠の別れを告げるような雰囲気に、俺は堪らず配信を閉じてしまいそうになる。

『………本当に、ありがとう』

その言葉を最後に、うらさんが配信を終えた。
オフラインになったことを確認した瞬間、堪らずに俺はうらさんへと電話をかける。
プルル、と呼出音がしばらく続いても、その音が鳴り止むことはなくて。

電話をかけ続けたまま、俺は玄関から飛び出す。

うらさん、うらさん。

何度も心で名前を問いかけても、勿論反応は返ってこなくて。
空を見上げると、今にも雨が降り出しそうなほどの重い雲が浮かんでいた。
夢の中では、星空が綺麗に街を包んでいたのに。
月もその重い雲に隠れてしまって、どこにあるか分からなかった。

いかないで、うらさん。

何度かけ直しても、繋がることはなくて。
だけど俺は、そのまま一直線にとある場所へと走り出す。

(......っ、大丈夫、居場所は分かってる、追いつく………!)

うらさんが風邪を引いて寝込んでしまったあの日。

うらさんを失うことに恐怖を覚えてしまった俺は、あの人をベッドに寝かせた後、近くにある家電屋へと足を運んで、初めてGPSというものを買った。
ストーカーと同じようなことをうらさんにしてしまう行為に酷く罪悪感がしたけれど、どうかこの悪夢から覚めるまで許してほしい。
極小で薄めのGPSをうらさんのスマホカバーの裏に取り付けて、俺のスマホとリンクさせる。

弱い俺でごめんね、うらさん。

そう思いながら付けたあの日の自分に、俺は今この瞬間礼を言いたくなった。
スマホで位置情報を確認しながら、夜の静かな街を走る。

こんなに全速力で走ったのなんていつぶりだろう。
ライブの時は子どもみたいに無邪気に走り回ってたな。あの時は、本当に毎年若返っていく自分を身に感じていた。
転けそうになる身体をなんとか立たせて、うらさんの元に向かって走る。

「っ、はぁ、っ、は、ッ」

苦しい。準備運動もなしに走ったせいで、身体が強ばったように固くなって、心臓の音がバクバクと身体中を駆け巡る。

苦しい。痛い。辛い。

でも、もう後悔はしたくない。

「っ、うら、さん………………!!!」

俺はもう、君と向き合うことから逃げないから。

だから、どこにも行かないで。

階段で屋上へと登って、大きな音を立てて錆び付いたドアノブを捻ってこじ開ける。
既に柵の外に佇んでいたうらさんが驚いたようにこっちを向いたと思えば、強い風に押されるように身体が傾いて。

「うらさん____!!!!!!」

届くはずもない手のひらを求めて、手を伸ばす。

この日の夜空は、重い雲に囲まれて星も月も見えなくて。
だけどその雲を超えたら、きっと皮肉な程に澄み渡った綺麗な星空と月が浮かんでいるのだろう。

そう。皮肉な程に、美しく。

___________________

俺はどこかで、期待をしていたのかもしれない。

さかたならきっと、俺を追ってここまで来てくれるって。
あるわけないと否定する一方で、どこか少しだけ淡い期待を込めて。
そんな自分が嫌で、その期待を自ら裏切るように飛び降りようと柵の外に出た。

だけど、俺は自分の意思に弱かったみたいだ。

だって、声を聞いたら。顔を見たら。

俺はもっと、君を欲しがってしまうから。

「____っ、っは、……ッ、は」

ぐ、と強く握りしめた柵と、服のズボンから落ちたスマホが地面へと落下していく姿。
冷や汗が額へと伝っていく中、自分の身が下へと落ちていないことにドッと安堵の気持ちが溢れる。

この屋上から落ちて死のうとしたのは他でもない自分なのに、自分の意思じゃない衝撃に落とされそうになるとは思っていなかった。
は、は、と浅い呼吸を続けていると、目の前に人影が映って。
そのたった一人しかいない姿を見れずに目を逸らそうとすると、ぎゅぅ、と力強く抱きしめられた。

柵の外にいる俺を、柵の中にいる坂田が。

「………さかた……痛いよ、」

「知らん」

「………………さかた、」

「嫌や。……絶対、…離さへん………ッ」

ぽた、ぽた、とまるでお風呂上がりかのように髪の毛から落ちている雫が頬にあたって冷たい。
一体、どれだけ走ったのだろう。
俺にも伝わってくるほど坂田の心臓の音は大きく鳴っていて、だけど俺を離さぬようにと、いつもの優しいハグとは程遠い力で俺を縛り付けてくる。

「……さかた、……」

「……………、ぃ、で」

「………?」

「……ッ、おねが、……っ、いかんとって、……っ」

振り絞るようなか細い声が、俺の耳元で囁かれる。

バカ。泣いてんじゃねぇよ。
手もそんなに震えて。汗も尋常じゃない程流して。
抱きしめる力も強いんだよ。力加減の知らない怪力野郎だ。
間に柵があるせいでその力が余計に痛いんだよ。

そんなことを思う中、俺の涙腺はいつの間にか壊されてしまったようで。
俺が腕を少し動かすと、不安が強くなったのか更に強く抱き締めてくる坂田の腕を癒すように撫でた。

あんなに、もう要らないと思っていたはずなのに。

触れることができただけで、そんなものは簡単に崩されてしまう。

「……ッ、…さかたぁ、………っ」

来てくれたのが、こんなにも嬉しい。

もう二度と呼ぶことはないと思っていた名前を噛み締めるように口に出して、俺も坂田の背中をぎゅぅ、と抱き締め返した。

俺と坂田の間にある柵なんて感じられないほど、強く強く抱きしめた。

坂田の手に引かれて、柵の中へと戻されてしまった俺は、どうしようもない気持ちを心に抱えたまま座り込む。

この世界に居たって、俺には苦しいことしか降ってこないのに。
それなのにコイツは、こんなにも俺を必要としてくれて。

それがあまりに残酷で、悲痛なものだった。

「……なんで、こんなことしようとしたん」

聞いたことのないような坂田の低い声に、身体がピクリと固まる。
別に俺だって、理由なしに命を粗末にするような人間じゃない。
そんなこと、お前なら知ってるはずなのに。

「…………………」

「……言わんなら、俺から言う」

小さなその言葉に目を見開くと、俺の承諾なんてものは得ずに一人で話し始めた。

夢の中で、俺と坂田が一緒に落ちていく場面を何度も見たこと。
その度に俺が坂田に涙を浮かべながら愛の言葉を伝えて、晴れきった笑顔で見てきたこと。
その悪夢から安心するために、俺の家に訪れていたこと。

全てを、何一つ隠さずに教えてくれた。

「……うらさんが風邪ひいた時に、スマホカバーの裏にGPS付けてん」

「………ッ」

「やから、この場所もすぐ分かった。……勝手なことして、ごめん」

小さく頭を下げる坂田に、俺は唇を噛み締める。
なんでそんなに、コイツは俺に執着するんだ。
ただの友人で、相棒で、一回身体を重ねた相手。
ただそれだけの関係じゃねぇか。

紙一枚で契約ができる相手でもなければ、公言しただけで腫れ物扱いされるような関係にしかなれない。

当たり前の幸せを掴めるお前の人生に、俺は必要ない。
邪魔者なんだよ。

「………っ、……くせに、」

「……うらさん?」

「…ッ、婚約者、いるくせに……ッ、勝手なこと言ってんじゃねぇよ……!!」

俺のお前へと向かっているこの気持ちは、お前みたいな綺麗な感情じゃない。

俺だって、お前みたいに愛されてみたいよ。

俺だけを愛してほしいんだよ。

「俺の気持ち知っててこんな…、っ、ずるいんじゃねぇの…、?」

俺の気持ちを知った後、お前は一度も姿を現さなかったくせに。
どうせ、お前の心なんて一生俺は掴めないんだ。
いつまでも、「友人」の枠からは外れない。

離れたくても離してくれない。
そばにいきたくても、隣には居られない。

そんなの、俺はもう耐えられないよ。

「俺は、うらさんが好きだよ」

違うよ。

お前のその「好き」は、俺とは違う。

「こんなこと言いたくないけど、夢の中で何度も、月が綺麗だね、なんて言ってくるアンタに、“死んでもいい”なんてくだらん返し方しちゃうくらいには好きだよ」

死んでもいいくらい、愛してる。

そう。俺はそれくらいの愛じゃないと足らない。
それ以上にもっと欲しがってしまうかも。

「勝手にGPS付けて犯罪まがいなことしたり、今こうしてまた話せてることに思わず泣きそうなくらい、好きだよ」

そう言った坂田が、俺の手を優しく取る。
柵を強く握ったせいでまだチリチリと赤く痛む手のひらを撫でて、きゅ、とその存在を噛み締めるように握りしめてきた。

「…婚約者には、“私のせいで後悔したなんて絶対に言ってくんな”って釘刺された」

「…………は?」

「…最初から、俺はうらさんのことしか考えてなかったっぽいや」

親父の“孫が見たい”という言葉に流されるように、自分に好意を抱いてくれていた人と付き合った。

溢れるくらいの愛が伝わってきて、繊細で、優しくて、うらさんとは似ても似つかない顔と仕草。
俺には勿体ないと思ってしまうくらい、綺麗で優しい人だった。
だけどその人と過ごしていく中で、この人は本当に俺の隣に一生居ていいものなのかと何度も思った。

何かある度に、うらさんとなら、なんて思ってしまう自分に酷く呆れてしまった。

俺の人生は、あの大きな船に詰まりすぎていたから。
俺が彼女に話せる内容も、気づけばその話ばかりで。

“坂田くんは、本当にうらさんって人が好きなんだね”

そう羨ましげに笑う彼女に、俺は満面の笑顔で頷いていた。
その羨ましげに見つめてくる彼女の表情も、その言葉の意味も、今なら分かる。
俺よりも先に、彼女はこの想いに気づいていた。

中途半端な俺は、彼女もうらさんも、両方を傷つけた。

“最近どこか上の空なのも、定期的にどこかに出かけてたのも、全部そのうらさんが原因なんでしょ”

最後に会った彼女は、なんだか少しスッキリしたようだった。
最後にキスだけして、なんて言われたことには驚いたけど。
周りに人がいないことを確認してその唇に触れる中、そういえばこの子と何回キスしたっけ、なんて考えた。
きっと数えられる程度しかしてないんだろうな、なんて他人事のように考えて。

“私は我儘だから、私だけを見てくれる人が好きなの。だから私に坂田くんは無理みたい”

そう言って背を向けて去る彼女の背中を見つめながら、うらさんに会いたいな、なんて最低なことを考えていた。

「俺には、無理やった」

「………………」

「……全部、間違えた。取り返しのつかないことも、いっぱいしたと思う」

でも、やっぱり諦められなかった。

そう言って俺の手の甲を撫でた坂田が、俺をまっすぐ見つめてくる。
その澄んだ瞳に、目が逸らせなくて。

「……好きだよ」

うらさんだけが、すきだよ。

その言葉に、坂田の顔が段々とぼやけていく。
握られていた手のひらを引かれて、その力に身を任せるように身体が動いて。
いつまでもあったかい太陽に包まれて、その熱が浸透してくるみたいに心が熱くなっていく。

「……俺は、うらさんを死なせたりせえへん。……心中も、絶対にしない」

「…………っ、」

「………………だから……死んだ方がマシなんて、もう考えんで」

ぐ、と腕の力を強めた坂田の背中にしがみついて、声にならないほど涙を流した。

ほんとに、馬鹿だな。お前。

どう考えたって、誰から見たって、俺とお前は釣り合っちゃいけない存在なんだよ。
それなのに、俺なんか選んで。
絶対後悔するに決まってるのに。

そう思うのに。

「…………うらさん」

力を緩めた坂田が、俺の頬を伝う涙を拭う。
溜まっていた涙が拭われて少しだけ視界が鮮明になったかと思えば、ふわりと甘く微笑まれて。

「……キス、してもいい……?」

熱く染まった赤い瞳が、まっすぐに俺を見つめて。
その瞳に目を逸らして、坂田の服を小さく掴んだ。

「…………聞くなよ、…」

そう小さく呟いた途端、唇が深く重なる。
何度もその温もりを確かめるように、角度を変えて重ねてくる唇の熱の高さが俺を求めてくれてると伝わってきて、少しだけ恥ずかしかった。

ゆっくりと身体を倒されて、深い口付けがより深くなる。
息が苦しくなってきて、腕を回していた坂田の背中をとんとんと叩くと、ゆっくりと離れていく。

「……ごめん、大丈夫?」

「ん…………」

坂田に引き寄せられるがままに身体を起こすと、さっきまで雲に隠れて見えなかった月がその存在を知らせるように大きく輝いていた。

「……さかた、」

「ん?」

「……月、きれ、ぅ」

月が綺麗だと伝える前に、唇が塞がれてしまう。

「…………その言葉、しばらく禁止」

唇を離したあと、拗ねたように俺を見つめてそう言う坂田が愛おしくて、首に腕を回して抱きついた。

ねぇ、さかた。

もう少しだけ、お前の隣にいてもいいかな。

自惚れそうになるくらい、お前の愛を受け取ってもいいかな。

「ふふ、さかたの弱点できたな」

「なんでそんな嬉しそうなん…………」

月が綺麗だ、なんて曖昧な言葉は、俺達には似合わない。
ただまっすぐに、包み隠さずに。

月の俺は、太陽のお前と向き合って初めて輝けるから。

「……ね、さかた」

「ん?」

これからも、ずっと。

愛してるよ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「いらっしゃいませ」

カランカラン、と鳴った鈴の音に顔を上げると、ここで決して交わることのなかった二人のお客様の来店に、目を見開く。

「こんにちは」

いつも他愛のない会話をしてくれるお客様の挨拶に返したあと、その隣に座った少しだけ気まづそうにしている男の人に微笑みかけた。

「お2人とも、いつものようにカフェオレで大丈夫ですか?」

「はい、俺は…………って、え?いつもの?」

目を大きく開いて不思議そうにするその隣で、ギクリと身体を固めるお客様。

「……お前、ここ来てたの?」

「………………だいぶ前にうらさんがここにおったん、偶然見かけて…………つい、」

「……カフェオレなんか普段飲まねぇだろ」

「………うらさんがいつも飲んどったの思い出して……同じもの、飲みたくなって」

そう言って照れくさそうにそっぽを向くと、ふーん、なんて興味のなさそうに返したお客様を見て微笑む。

お互いに耳まで赤く染めてるその愛らしさに、よかった、なんて思いながら、淹れたてのカフェオレを二人の前に置いた。

fin.

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